Threadsなどで、たまに見かける。
「子どもを灘や東大寺に合格させた方、小1からどんな勉強をされていましたか?」
その手の投稿を見るたびに、少し苦しくなる。
もちろん、子どもの将来を思ってのことなのだろう。
心配なのもわかる。
良い教育を受けさせたい気持ちも自然だ。
でも。
それは、本当に子どものためなのだろうか。
自分は小学校も中学校も塾に行っていない。
高校時代は、むしろ部活ばかりしていた。
市の選抜に行くくらいには、本気で打ち込んでいた。
でも今振り返ると、人生を作ったのは
“勉強法”ではなかったと思う。
何かに夢中になったこと。
多くの人と関わったこと。
悔しさを知ったこと。
理不尽を経験したこと。
人を見る目を育てたこと。
うまくいかない経験をすること。
これが人生においてとても大事なことだと思う。
勉強もうまくいかなければ、そのひとつかもしれないけど。
そういうものの方が、ずっと大きかった。
失敗を最小限にしようとする「転ばぬ先の杖」が
子供の生きる力を削ってはいないだろうか。
親からもらう杖がなければ
一人で歩けない臆病者になってしまうかもしれない。
難関校に合格する。
それ自体は素晴らしいことだと思う。
でも、それは人生のゴールではない。
ましてや、親の人生のゴールであってはいけない。
子どもは、親の作品ではない。
親の理想を投影するための器でもない。
ひとりの人間だ。
「どう生きたいのか」
「何が好きなのか」
「何に心が動くのか」
ちゃんと話したことはあるだろうか。
“優秀な子ども”としてではなく、
“ひとりの人間”として見ているだろうか。
子どもは、思っている以上に賢い。
親が不安なことも。
期待していることも。
空気も、焦りも、全部わかっている。
だからこそ。
どうか、先回りしすぎないでほしい。
人生に必要なものを、子ども自身が掴みに行く余白を残してあげてほしい。
勉強は大事だ。
でも、人生は勉強だけではできていない。
人間力。
出会い。
運。
挑戦。
失敗。
夢中になった時間。
そういう“数字にならないもの”が、最後に人を支える。
子どもの人生は、親の履歴書ではない。
Relay , Remember
