3低の国、日本

昔、「3高」という言葉がありました。

婚活市場において、女性が男性に求める条件として語られていた言葉です。
高年収、高身長、高学歴。

今思えば、実にわかりやすい価値観です。

豊かになっていく時代。
右肩上がりの社会。
会社に入り、出世し、収入を増やし、家庭を持つ。

そういう人生モデルが、まだ信じられていた時代の言葉だったのだと思います。

一方で、少し前からは「3低」がよいと言われるようになりました。

低リスク。
低姿勢。
低依存。

これもまた、時代をよく表しています。

高く飛ぶ人よりも、落ちない人。
強く引っ張る人よりも、波風を立てない人。
大きな夢を語る人よりも、安定してそばにいてくれる人。

結婚相手に求める条件というのは、
ものの見事にその時代の空気を映します。

そして、この「3低」という言葉を見ていると、
僕は日本という国そのものを見ているような気がします。

低リスク。
低姿勢。
低依存。

それは一見、とても良いことのように見えます。

堅実で、謙虚で、自立している。
日本人が昔から大切にしてきた美徳にも重なります。

けれども、今の時代においては、
その「安全そうな選択」こそが、最も危うい選択になっているのではないか。
そう感じることがあります。

日本人は貯金が好きです。

投資よりも貯蓄。
転職よりも我慢。
起業よりも安定。
副業よりも本業への忠誠。

もちろん、それが間違っていたわけではありません。

デフレの時代には、現金を持っていることが合理的でした。
物価が上がらないのであれば、銀行にお金を置いておいても、大きく損をしている感覚はありません。

むしろ、リスクを取らないことが正解だった。
投資をしなくても、起業をしなくても、副業をしなくても、そこそこ生きていけた。

その成功体験が、長く続きすぎたのだと思います。

でも、時代は変わりました。

インフレによって、貯金は静かに目減りしていく。
円の価値は下がり、物価は上がり、給料は思うようには増えない。

これまで「安全」と思われていた場所が、
実は少しずつ沈んでいく船だったのかもしれない。

そう考えると、怖くなります。

もちろん、これは個人の選択の結果でもあります。

投資をしなかった。
学ばなかった。
変わろうとしなかった。
リスクを取らなかった。

そう言われれば、その通りの部分もあります。

でも、本当にそれだけなのでしょうか。

学校ではお金の増やし方をほとんど教えられてこなかった。
投資はどこか危ないもの、ギャンブルのようなものとして語られてきた。
会社に忠誠を尽くせば、会社が守ってくれるという空気があった。
メディアもまた、挑戦よりも失敗の怖さを強調してきたように思います。

つまり、僕たちが「安全」を選んできた背景には、
安全を選ぶことが合理的に見えるような社会の構造があったのではないか。

個人の選択でありながら、
その選択肢そのものが、ある程度作られていたのではないか。

そう感じるのです。

これが意図的だったのか。
誰かが故意にそうしてきたのか。
それは僕にはわかりません。

ただ、疑問は残ります。

なぜ、日本ではこれほどまでにお金の教育が遅れたのか。
なぜ、投資や起業や副業が、長い間どこか後ろめたいもののように扱われてきたのか。
なぜ、変わらないことが美徳のように語られ続けてきたのか。

考え始めると、簡単には答えが出ません。

でも、その疑いは、僕の中でさらに考える力を与えてくれました。

世の中で「常識」とされていること。
多くの人が何となく信じていること。
安全だと思われていること。

それらは本当に安全なのか。

3高から3低へ。
言葉だけを見れば、ただの婚活市場の流行語かもしれません。

でも、その奥には、
日本という国が長い時間をかけて選んできた価値観が見えます。

そして今、僕たちは気づき始めているのかもしれません。

低リスクを求め続けた結果、
最も大きなリスクを抱えることになったのではないか。

安全な場所にいるつもりで、
実は変化しないことの危うさに、静かにさらされていたのではないか。

これからの時代に必要なのは、
無謀なリスクを取ることではありません。

でも、何もしないことを安全だと思い込まないこと。

学ぶこと。
疑うこと。
少しずつ動くこと。
自分の頭で考えること。

「低リスク」ではなく、
「リスクを理解する力」。

それこそが、これからの日本人に必要なものなのだと思います。

 

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onorenoo

おのれ

@onorenoo

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