いのちのルールと欲望のルール

最近、この世の中には二つの大きなルールがあるのではないかと思うようになりました。

ひとつは、いのちのルール
もうひとつは、欲望のルールです。

いのちのルールとは、道徳や倫理、自然を大切にすること、生命を大切にすること。
太古の昔から変わらない、人間が生きる上での本質的なルールです。

人を傷つけない。
自然を壊しすぎない。
食べることに感謝する。
家族を大切にする。
弱いものを守る。
自分の身体を粗末にしない。

そういう、人間が人間として生きるための、核となるルールです。

一方で、欲望のルールというものがあります。

お金。
政治。
経済。
競争。
効率。
成長。
便利さ。
損得。

これらは太古の昔から存在したものではありません。
人間がこの世界を管理し、運営し、拡大していくために作り上げてきたルールです。

もちろん、それは悪いものではありません。

お金があるから交換ができる。
政治があるから社会が維持される。
経済があるから多くの人が仕事を得る。
効率があるから、昔なら不可能だった生活が可能になる。

欲望のルールは、人間の生活を大きく前に進めてきました。

しかし同時に、そこに飲み込まれると、人は道を間違えることがあります。

もっと欲しい。
もっと便利にしたい。
もっと勝ちたい。
もっと認められたい。
もっと増やしたい。

その力が強くなりすぎると、いつの間にか、いのちのルールが後ろに追いやられてしまう。

身体に悪いとわかっていても、売れるから作る。
自然を壊すとわかっていても、利益になるから進める。
家族との時間を削ってでも、仕事を優先する。
本当は休むべきなのに、休むと迷惑がかかると思い込む。
自分の心が壊れそうなのに、社会のルールに合わせ続ける。

これらはすべて、欲望のルールが強くなりすぎた状態なのかもしれません。

ただ、僕は、いのちのルールだけで生きていけるほど、現代の世界は単純ではないとも思っています。

お金は必要です。
仕事も必要です。
社会の仕組みも必要です。
効率や便利さにも、確かに助けられています。

だから大事なのは、欲望のルールを否定することではありません。

できるだけ、いのちのルールに従いながら、欲望のルールをうまくコントロールすること。

そこに、現代を生きる上での知恵があるのだと思います。

たとえば、今日手に取る食材や食品。

僕は、コンビニで食べ物を買うことがほとんどありません。
なぜなら、僕の中では、コンビニの食べ物は欲望のルールの比重が高いと感じるからです。

もちろん、コンビニの食べ物がすべて悪いと言いたいわけではありません。

添加物も、現代では避けて通れないものです。
おかげで食品は長く保存できるようになり、本来なら自分の生活圏では手に入らないものも食べられるようになりました。
忙しい時に助けられることもある。
災害時には保存性の高い食品が命をつなぐこともある。

それは、欲望のルールが生み出した便利さです。

しかし、その食べ物を家族や友人と囲み、笑いながら食べるのであれば、そこにはいのちのルールも存在します。

同じ食べ物でも、
ただ空腹を埋めるためだけに流し込むのか。
誰かと時間を共有するために食べるのか。
身体を大切にする意識を持って選ぶのか。

そこには、まったく違う意味が生まれます。

つまり、いのちのルールと欲望のルールは、いつも完全に分かれているわけではありません。
多くの場合、同時に存在しています。

大事なのは、自分の選択がどちらのルールに従っているのか。
あるいは、どちらのルールにより強く引っ張られているのか。
そこに気づくことなのだと思います。

政治や経済のような大きなものだけではありません。

自分の仕事。
日々の買い物。
休日の過ごし方。
人との接し方。
家族との在り方。
子供への言葉。
自分の身体との向き合い方。

その一つひとつに、いのちのルールと欲望のルールが働いています。

これは得なのか。
これは便利なのか。
これは評価されるのか。
これは儲かるのか。

そう考えることも必要です。

でも同時に、

これは自分の身体にとってどうなのか。
これは家族にとってどうなのか。
これは人として気持ちのよい選択なのか。
これは自然なことなのか。
これは、いのちを粗末にしていないか。

そう問い直すことも必要です。

欲望のルールは、社会を動かします。
いのちのルールは、人間を支えます。

欲望のルールだけでは、人は消耗していく。
いのちのルールだけでは、現代社会を生き抜くには少し弱い。

だからこそ、二つのルールの力関係を見極めることが大事なのだと思います。

今、自分は何に動かされているのか。
これは誰のための選択なのか。
この便利さの裏側で、何を失っているのか。
この損得の先に、本当に守りたいものはあるのか。

そう考えるための物差しとして、
いのちのルールと欲望のルールという見方は、意外と役に立つのかもしれません。

構造を見抜くために。
感情を整理するために。
自分の本音に気づくために。
そして、物事の本質を見失わないために。

僕たちは、欲望のルールの中で生きています。
でも、最後に戻るべき場所は、いのちのルールなのだと思います。

 

Relay , Remember

onorenoo

おのれ

@onorenoo

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