株式市場はプロレスのリングである

短期投資という視点で見ると、株式市場はプロレスの試合に近いのかもしれません。

リングの上では、日々激しい戦いが繰り広げられています。

勝つレスラーもいる。
負けるレスラーもいる。
連勝するレスラーもいる。
怪我をしてリングから退場するレスラーもいる。

華々しく勝ち続ける者もいれば、
一瞬で資金を失い、二度とリングに戻れなくなる者もいる。

審判は政府です。

ルールを作る。
反則を取り締まる。
必要なら制度を変える。
ときには試合の流れに介入する。

観客は投資家です。

熱狂する。
悲鳴を上げる。
期待する。
失望する。
隣の観客につられて声を上げる。
勝っているレスラーに群がり、負け始めたレスラーからは一斉に離れる。

でも、このプロレスで本当に重要なのは、リングそのものです。

どれだけ選手が暴れても、
どれだけ乱闘が起きても、
どれだけ観客が騒いでも、
リングが完全に壊れてしまえば試合は続けられません。

だから、リングが壊れないように整備している存在がいます。

それが中央銀行です。

中央銀行は、普段は目立ちません。
観客席からは見えにくい場所にいます。

しかし、本当にリングが壊れそうになったとき、中央銀行は出てきます。

床板を補強する。
ロープを張り直す。
支柱を支える。
会場の照明を戻す。
必要なら、新しいリングまで用意する。

リーマンショックのときもそうでした。
コロナショックのときもそうでした。

市場が崩壊しそうになると、中央銀行は流動性を供給し、金利を下げ、資産を買い、リングそのものを守ろうとします。

なぜなら、リングが壊れれば、レスラーだけでなく、観客も、審判も、会場も、放送局も、すべてが困るからです。

ここに現代金融市場の本質があります。

勝つか負けるかは、参加者次第です。
でも、リングそのものは簡単には壊させない。

この前提があるから、投資家はまたリングに戻ってくる。
市場は暴落しても、どこかで回復するかもしれないと期待する。
中央銀行が最終的には支えるのではないかと考える。

短期投資家は、そのリングの上で戦うレスラーの勝ち負けにベットしています。

誰かを投げ飛ばす。
誰かに投げ飛ばされる。
技をかける。
技を読まれる。
観客の熱狂に乗る。
逆に熱狂に飲まれる。

試合の攻防に一喜一憂しながら。

そこには勝者も敗者もいます。

しかし、長期投資家は少し違う見方をします。

レスラーとして毎試合勝とうとするのではなく、
リングそのものが維持される構造に賭ける。

もっと言えば、会場全体の価値が長期的に上がっていくことに賭ける。

そして、放映権料は静かにインフレしていく。

チケット代も上がる。
グッズ代も上がる。
広告料も上がる。
会場の維持費も上がる。

同じ試合を見ているはずなのに、時間が経つほど必要なお金は増えていく。

現金だけを握りしめて観客席に座っている人は、気づかないうちに、次のチケットを買う力を失っていく。

一方で、リングや興行そのものの一部を持っている人は、インフレとともに価値が上がる側に立つことができる。

短期投資は、リング上の勝負です。
長期投資は、興行そのものへの参加です。

勝ち負けに熱狂するのではなく、
なぜこの興行が続くのかを考える。

誰がリングを直しているのか。
なぜ観客は戻ってくるのか。
なぜ放映権料は上がり続けるのか。
なぜ会場そのものの価値が上がっていくのか。

ここを理解すると、投資の見え方は変わります。

プロレスの試合に毎回勝とうとするのではなく、
プロレス興行そのものが続く構造に乗る。

これが、短期投資と長期投資の大きな違いなのだと思います。

リングの上で戦う人もいる。
観客席で熱狂する人もいる。
審判としてルールを整える人もいる。
リングを直す人もいる。
そして、興行そのものを保有する人もいる。

投資家としてどの立場に立つのか。

それを考えることが、資本主義という巨大な興行を理解する第一歩なのかもしれません。

Notice.

onorenoo

おのれ

@onorenoo

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