ただ、ここで勘違いしてはいけないことがあります。
今の金融システムは、たしかに多くの副作用を生んでいます。
資産価格を押し上げる。
格差を広げる。
インフレを通じて、現金しか持たない人の購買力を削る。
中間層に税や社会保険料の負担を重く感じさせる。
そういう側面は確かにあります。
しかし一方で、この金融システムがあるからこそ、僕たちの生活は守られている面もあります。
銀行が連鎖的に破綻しない。
金融危機が社会全体の崩壊に直結しない。
企業が資金調達できる。
雇用が急激に破壊されることを防ぐ。
年金や保険、住宅ローン、決済システムが何とか維持される。
つまり、現代の金融システムは、誰か一人の暴走によって世界全体が簡単に崩壊しないようにするための安全装置でもあります。
その意味では、僕たちは十分に恩恵を受けています。
金融システムは悪ではありません。
中央銀行も悪ではありません。
政府も悪ではありません。
市場も悪ではありません。
ただし、どんな薬にも副作用があるように、金融システムにも副作用があります。
そして問題は、その副作用が平等には分配されないことです。
資産を持っている人は、副作用をある程度ヘッジできます。
株式、不動産、金、事業、知識、人的資本。
そうしたものを持っていれば、インフレや通貨価値の低下に対して、自分を守ることができる。
一方で、現金だけを持ち、制度を知らず、何も行動しない人は、副作用をまともに受けてしまう。
だから投資家という存在は、何か特別にずるい存在なのではないと思います。
投資家とは、この構造を理解し、その副作用を最小限に抑えようとしている人たちです。
そして同時に、構造の流れをうまく利用している人たちでもあります。
資本主義の中で、資本を持つ。
インフレの世界で、現金以外の資産を持つ。
金融緩和の世界で、資産価格の上昇を受け取る側に回る。
それは悪ではありません。
むしろ、仕組みを理解した人間の合理的な行動です。
ここには、わかりやすい悪人はいないのかもしれません。
いるとすれば、それは人間の欲望です。
もっと増やしたい。
もっと得をしたい。
もっと上に行きたい。
もっと失いたくない。
もっと安心したい。
この欲望が、金融市場を動かします。
そしてこの欲望は、富裕層だけのものではありません。
投資家だけのものでもありません。
政治家だけのものでもありません。
銀行家だけのものでもありません。
僕たち一人ひとりの中にもあります。
お金が欲しい。
安心したい。
損をしたくない。
家族を守りたい。
将来に備えたい。
できれば豊かに暮らしたい。
その気持ちは自然なものです。
しかし、人間は欲に魅せられると、どこまでも追いかけてしまう。
資産が増えても、まだ足りない。
年収が上がっても、まだ不安。
大金を手に入れても、もっと欲しくなる。
他人と比べて、また苦しくなる。
だから、お金の構造を理解することは大切です。
でも、それだけでは足りない。
資産を持つこと。
投資をすること。
インフレに備えること。
構造の副作用を避けること。
それらは、人生を守るためには必要です。
しかし、それが人生の目的になってしまうと、また別の罠に落ちる。
お金は、人生を守る道具です。
でも、お金そのものが人生ではありません。
ここが難しいところです。
資本主義の構造を知らなければ、静かに搾取される。
しかし、資本主義の構造を知りすぎて、お金だけを追いかけても、幸せにはなれない。
だから必要なのは、投資の知識だけではありません。
自分は何のためにお金を持つのか。
どれくらいあれば十分なのか。
何を守りたいのか。
何に使いたいのか。
どんな人生を良しとするのか。
そこまで考えて、初めてお金は道具になる。
金融システムを理解すること。
資産を持つ側に回ること。
インフレから身を守ること。
それは大切です。
でも最後に問われるのは、
いくら持っているかではなく、
どう生きるかです。
悪人はいないのかもしれない。
あるのは構造と、人間の欲望。
そしてその欲望をどう扱うか。
そこに、お金よりも難しい人生の本質があるのだと思います。
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