山を登らない若者たち

「若者の車離れ」「若者の旅行離れ」。

そんな言葉をよく耳にするようになった。

そして今度は「若者の労働離れ」だという。

でも、考えてみれば当然のことなのかもしれない。

国民負担率は高く、税金や社会保険料として徴収されたお金が、自分たちに適正に還元されているという実感は乏しい。

一生懸命働いて収入を増やしても、税金や社会保険料の負担も増える。

働くことで得られる経済的な期待値が、あまりにも低く感じられる。

つまり、希望がないのだ。

もちろん、働くことにはお金以外の価値もある。

社会とのつながり、自己実現、達成感。

それは間違いない。

でも、それらを語る前に、働けば生活が豊かになるという、ごく当たり前の期待が必要なのではないだろうか。

頑張って働くよりも、無理をせず、セーフティーネットにうまくぶら下がっていた方が、人生はイージーモードなのかもしれない。

そんなふうに考える若者がいたとしても、僕にはそれを怠惰だと切り捨てることはできない。

山を登るには、それなりの努力が必要だ。

時間も体力も使うし、ときには危険も伴う。

それでも山を登るのは、山頂には麓とは違う景色が広がっていると信じられるからだ。

でも、苦労して山頂に着いても、麓とたいして変わらない景色しか見られないとしたら。

わざわざ登る意味があるのだろうか。

麓で一生を終えても、山頂からの景色はテレビで観られる。

案外、それで十分なのかもしれない。

若者が山を登らなくなったことを嘆く前に、

登った先に、ちゃんと希望のある社会なのか。

まずはそこを考えるべきなのだと思う。

onorenoo

おのれ

@onorenoo

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