それは本当に「人手不足」なのか?──2000円の肉と1000円の時給から考える、日本の歪み

SNSで見つけた、秀逸な例え

先日、SNSで面白い例えを見つけました。

正確な文言は覚えていないのですが、おおむね次のような内容でした。

2000円の肉が売っている。

でも、自分は1000円しか持っていない。

そんなとき、普通は「肉不足」とは言わない。

「お金が足りない」と考える。

ところが、時給1000円で求人を出しても人が集まらず、時給2000円にすると人が集まる。

これを、なぜ「人手不足」と呼ぶのだろうか?

なかなか秀逸な例えだと思いました。

もちろん、現実の労働市場はこんなに単純ではありません。

しかし、日本がこの30年ほどの間に抱えてきた問題を、少し尖った角度から見事に表現しているように感じます。

人手不足なのか、安い労働力不足なのか

最近、ニュースを見ていると、どこもかしこも「人手不足」です。

飲食業、建設業、運送業、介護、農業、そして医療。

確かに、人が足りないのでしょう。

ただ、少し気になることがあります。

「その条件で働いてくれる人がいない」ということと、「社会に働ける人がいない」ということは、同じなのでしょうか。

時給1000円では応募がない。

でも、時給2000円なら応募がある。

それは本当に人手不足なのか。

単純に、提示している労働条件が市場で評価されていないだけではないのか。

商品には市場価格があるのに、労働力については、なぜか企業が希望する価格で供給されるべきもののように扱われている。

そんな違和感があります。

もっとも、日本では少子高齢化が進み、実際に労働力人口の制約も強まっています。

すべてを賃金だけで解決できるわけではありません。

それでも、「人手不足」という言葉の中に、本当の労働力不足と、安い賃金では人を雇えないという問題が混在していることは、意識しておく必要があると思います。

誰が悪いのか? 消費者か、企業か

では、なぜ給与が上がらないのでしょうか。

人件費を抑えたい企業が悪いのでしょうか。

それとも、値上げを許容しない消費者が悪いのでしょうか。

おそらく、どちらか一方を悪者にしても解決しません。

企業は利益を確保しなければ存続できません。

人件費が上がれば、当然、商品やサービスの価格を上げる必要が出てきます。

しかし、消費者は安いものを求めます。

特に、長いデフレ時代を経験してきた日本では、値上げに対する抵抗感は根強いものがあります。

企業が値上げできない。

だから給与を上げられない。

給与が上がらないから、消費者は高い商品を買えない。

高い商品が売れないから、企業は値上げできない。

まさに、卵が先か鶏が先か。

この循環の中で、日本は長い間、足踏みしてきたのではないでしょうか。

本来は、

企業が適正な利益を得る → 従業員の給与が上がる → 家計に余裕が生まれる → 消費が増える → 企業の売上が増える。

そんな好循環が必要なのだと思います。

ところが、この循環のどこかが詰まっている。

私はそこに、日本経済の根深い問題があるように感じます。

内部留保があるから給与を上げろ、では済まない

企業の賃上げの話になると、よく出てくるのが「内部留保」です。

企業が利益をため込んでいるのだから、もっと従業員に還元すればいい。

そんな議論です。

確かに、大企業の中には十分な利益を確保しながら、賃金への還元が不十分な企業もあるかもしれません。

しかし、日本の企業の大部分は中小企業です。

しかも、内部留保はすべて現金で積み上がっているわけではありません。

設備や在庫など、事業を支える資産にも姿を変えています。

そして、実際には賃上げどころか、事業の継続すら難しくなっている企業も少なくありません。

帝国データバンクによると、2025年度の企業倒産件数は1万425件。

2年連続で1万件を超えています。

物価高や人手不足による倒産も深刻です。

では、なぜ企業はそんなに苦しいのでしょうか。

私は、ここでも「お金の流れ」が気になります。

企業が従業員に十分な給与を払えない。

しかし、その企業自身も取引先から十分な対価を受け取れていない。

さらに、その取引先も消費者への値上げができない。

結局、経済のあちこちで、誰かが安さを引き受けているのではないでしょうか。

そして、そのしわ寄せが、立場の弱い企業や労働者に集中しているように思います。

外国人労働者の受け入れは、本当に人手不足の解決なのか

もうひとつ、気になることがあります。

人手不足への対応として、外国人労働者の受け入れが進められています。

もちろん、外国人が日本で働くこと自体に問題があるとは思いません。

むしろ、日本で働き、生活し、社会を支えてくれる人たちは大切な存在です。

ただし、受け入れる側の動機については、考えておく必要があると思います。

日本人が時給1000円では働かない。

それなら時給を上げるのではなく、その条件でも働いてくれる外国人を探そう。

そんな発想が、もしあるのだとすれば。

それは本当に、人手不足への健全な対応なのでしょうか。

かつての技能実習制度には、制度上の目的と実態の乖離が指摘されてきました。

そして、その見直しによって創設された育成就労制度では、人材育成と人材確保の両方が目的として明示されています。

つまり、外国人労働者を日本の産業の担い手として確保するという考え方そのものは、制度上もはっきりしているわけです。

だからこそ、私は疑問に思います。

外国人労働者の受け入れが、日本の労働環境をより良くする方向に働いているのか。

それとも、低賃金のままでも事業を続けられる仕組みを維持する方向に働いていないか。

もちろん、すべての雇用主が安い労働力を求めているわけではありません。

同じ仕事には、国籍にかかわらず適正な待遇が必要です。

外国人を受け入れることと、労働の対価を安く抑えることは、切り離して考えるべきなのだと思います。

医療の世界でも感じる、同じような構造

私は医療の世界で働いています。

最近では、地域による医師の偏在や、診療科による医師の偏在が問題になっています。

では、なぜ偏在が起こるのでしょうか。

理由はさまざまですが、働く側からすれば、仕事内容に対して報酬や労働環境が見合っているかは重要です。

同じような収入を得られるのであれば、夜間や休日の拘束が少なく、訴訟リスクも低く、身体的な負担の小さい仕事を選びたい。

そう考えることは、決して不自然ではありません。

「楽に稼げる方が良い」

少し乱暴な言い方ですが、多くの人に共通する合理的な判断だと思います。

医師には社会的責任があります。

しかし、その責任感や使命感だけを頼りに、労働条件の問題を解決しようとすることには限界があります。

診療報酬という公的な価格制度の中では、医療機関が自由に価格を引き上げることもできません。

必要性が高く、負担も大きい仕事だからといって、十分な報酬が得られるとは限らないのです。

これは、医療に限った問題ではないと思います。

農業や林業、社会を支える仕事にお金は回っているのか

農業、林業、漁業、介護、物流、建設。

どれも、私たちの生活に欠かせない仕事です。

食べるものを作る人。

道路や建物を維持する人。

高齢者を介護する人。

荷物を運ぶ人。

こうした仕事がなくなれば、社会は成り立ちません。

ところが、社会にとっての必要性の高さと、そこで働く人の所得の高さは必ずしも一致しません。

市場で得られる報酬は、需要だけではなく、供給、交渉力、価格決定権、制度など、さまざまな要因によって決まるからです。

一方で、モノやサービスが右から左へ動く過程で手数料を得るビジネスが、高い収益を上げることもあります。

もちろん、仲介や流通にも重要な役割があります。

情報を集め、取引を成立させ、リスクを引き受けることにも価値があります。

ただ、ふと思うのです。

社会を実際に支えている仕事よりも、価格決定権や取引の仕組みを握る仕事の方が、圧倒的に有利になってはいないだろうか。

もしそうであれば、人がどちらに集まるかは明らかです。

人間は、自分の生活を守るために働いています。

同じ努力をするなら、より高い報酬が得られる場所へ向かう。

それは自然なことです。

それなのに、社会に必要な仕事ほど人が集まらないと嘆く。

もしかすると、私たちはその仕事に対して、必要な対価を払う仕組みを十分に作ってこなかったのかもしれません。

人が足りないのではなく、お金が届いていないのではないか

もちろん、お金を増やして配ればすべてが解決する、という話ではありません。

生産性を高めることも必要です。

人口減少への対応も必要です。

適切な価格転嫁も、産業構造の変化も必要でしょう。

ただ、私が気になるのは、誰がどのように利益を得て、その利益がどこへ流れていくのか、ということです。

企業が利益を上げることは悪ではありません。

投資家が配当を得ることも悪ではありません。

仲介業者が手数料を得ることも悪ではありません。

それぞれが経済の中で役割を担っています。

しかし、その一方で、現場で働く人たちに十分な対価が届かないのであれば、何かがおかしい。

利益を最大化することと、社会全体が豊かになることは、必ずしも同じではないのだと思います。

そして、立場の弱い人や企業に負担を押し付けることで成り立つ利益は、長い目で見れば社会の購買力を弱め、結局は企業自身の成長も妨げてしまうのではないでしょうか。

最後に──何を豊かにする社会なのか

2000円の肉を1000円で買おうとして、買えなかったら「肉不足」だと騒ぐ。

そんな話を聞けば、多くの人はおかしいと思うでしょう。

でも、人手不足という言葉の裏側で、似たようなことが起きていないでしょうか。

もちろん、現実には本当に人が足りない分野もあります。

それでも、働く人を増やしたいのであれば、その仕事に見合う対価を支払うこと。

そして、その対価を支払えるように、企業や産業にも十分なお金が回ること。

そうした仕組みを作ることが大切なのだと思います。

医療、農業、林業、物流、介護。

人間が生きていくうえで、本質的に必要な仕事があります。

そうした仕事を担う人たちが、誇りだけではなく、経済的にも報われる社会。

私は、そんな社会の方が健全だと思います。

人口が減っていく日本で、人手不足が深刻になるのは、ある程度避けられないことなのかもしれません。

しかし、人が足りないことと、安い労働力を確保できないことは、同じではありません。

本当に足りないのは、人なのか。お金なのか。それとも、お金を必要なところへ届ける仕組みなのか。

ニュースで「人手不足」という言葉を聞くたびに、少し考えてみたいと思います。

onorenoo

おのれ

@onorenoo

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