働けば税金がかかる。
お金を使えば税金がかかる。
働いて得たお金を貯金して、わずかな利息がついても税金がかかる。
将来のために投資をして、リスクを引き受けて利益が出れば、そこにも税金がかかる。
動けば税金。
動かなくても税金。
なんだか、呼吸をすることにさえ税金がかかるような気がしてくる。
酸素税。
もちろん、そんな税金はない。
でも、この息苦しさには、何か理由があるのだと思う。
最近、金融所得への課税を強化すべきだという議論を目にする。
不労所得だから、もっと課税してもよい。
なるほど、そういう考え方もある。
でも、不労所得とは何だろう。
僕の場合、投資の原資は働いて得たお金だ。
生活費を払い、税金を払い、残ったお金を少しずつ投資に回してきた。
将来のために今の消費を控え、リスクを引き受けながら資産を形成している。
確かに投資から得られた利益は、直接働いて得た所得ではない。
でも、その背景には、過去の労働がある。
もちろん、相続で莫大な資産を得た人もいるし、資本を持つ人が有利になる構造もある。
だから、金融所得への課税が不当だと言いたいわけではない。
ただ、何を公平と考えるのかは、もう少し丁寧に議論されるべきだと思う。
ところで、昔、アメリカ先住民には、土地は誰のものでもなく、みんなのものだという考え方があったと聞いたことがある。
実際には部族ごとに土地との関わり方は異なっていたようだけれど、この考え方は興味深い。
誰のものでもなかった土地に境界を引く。
所有権を認め、価格をつける。
そうすることで財産が守られ、秩序が生まれ、社会が発展する。
これは資本主義社会にとって、とても重要な仕組みだ。
一方で、その所有権を保証するためには、社会全体による管理が必要になる。
法律も、行政も、警察も必要だ。
だから、税金は必要なのだと思う。
ただ、ここで一つ疑問が生まれる。
社会を維持するために集められたお金は、本当に社会全体のために使われているのだろうか。
税金を集めることと、それを適正に再分配することは別の話だ。
負担を求める理由が正しくても、使い道まで正しいとは限らない。
財産を守るための仕組みが、いつの間にか財産を築こうとする人の意欲を削いでいるとしたら、それは少しおかしな話ではないだろうか。
前回の記事で、若者の労働離れについて考えた。
努力して山を登っても、山頂から見える景色が麓と大して変わらないなら、わざわざ登る意味がない。
今回の話も、それに似ている。
苦労して山を登り、ようやく山頂に近づいたところで、通行料を求められる。
それも、いつの間にか値上がりしている。
山道を整備するためのお金だと言われれば、それは理解できる。
でも、そのお金で本当に山道が整備されているのか。
そこがわからない。
税金のない社会を望んでいるわけではない。
負担をすること自体が嫌なのでもない。
ただ、何のために負担し、その負担によってどんな社会を手に入れているのか。
そこに納得できることが大切なのだと思う。
呼吸をするにも税金がかかる。
そんな冗談が、いつまでも冗談で済む社会であってほしい。
