昨日は久しぶりに民放を見ました。
理由は単純で、日本対チュニジアの試合が放送されていたからです。
日本代表は、本当に素晴らしいですね。
日本人らしさを存分に生かしたサッカーを展開しているように感じました。
もちろん、世界のトップレベルと比べれば、個の力やフィジカルで圧倒するチームではないです。
けれど、欧州で活躍している選手たちは、その差をどう埋めるのかを確実に身につけている気がします。
正面からぶつかるのではなく、ずらす。
力で押し切るのではなく、間合いで外す。
ぶつかる前に体を入れる。
相手の力を利用して、次の動作に移る。
その身のこなしや体の使い方は、サムライというより、どちらかというとニンジャに近い印象を受けました。
日本人が世界で戦うというのは、こういうことなのかもしれません。
自分たちにないものを嘆くのではなく、
自分たちにあるものをどう磨くか。
そんなことを感じながら、試合を見ていました。
ただ、少し気になったのは、試合そのものではありません。
合間だか、その後に流れていたニュースです。
日経平均は上昇している。
けれど、その恩恵を受けているのは一部の人だけ。
そんなニュアンスのニュースでした。
街角インタビューでは、こんな声が紹介されていました。
「物価はすごく上がった。おにぎりも100円から200円になった。でも、給料は少ししか上がっていない。」
もちろん、それは多くの人にとって実感のある話だと思います。
物価は上がっている。
給料はそれほど上がっていない。
生活は楽になっていない。
それ自体は、間違っていない。
ただ、僕にはそのニュースが、どこかこう言っているように聞こえました。
株高だけど、儲かっているのはごく一部です。
だから、みんな安心してください。
あなたが豊かになっていないのは普通です。
そんな空気です。
ここに、日本の構造的なまずさがあるように思います。
いや、まずいと言い切ると少し違うのかもしれません。
多くの人が不満を爆発させず、みんなで我慢して、社会が安定している。
それはそれで、日本の強さでもあります。
けれど、資産形成という視点で見ると、この空気はかなり危うい。
みんなで貧しくなろう。
給料が上がらなくても、自分も我慢している。
だからあなたも我慢しよう。
そんな同調圧力に近いものを感じます。
しかし、現実には、日本の市場は世界に開かれています。
株式も、不動産も、サービスも、商品も、労働力も、資本も。
すべてが世界とつながっています。
つまり、日本人同士で
「給料が上がらないよね」
「生活が苦しいよね」
「でもみんな同じだよね」
と言い合っている間にも、世界の資本は日本の資産を見ています。
日本の株は買える。
日本の不動産も買える。
日本のサービスも使える。
日本の技術も、人材も、企業も、世界から評価される。
その一方で、日本人の給与所得は、世界的に見れば相対的に低くなっている。
ここが本質だと思います。
物価が上がっているのに、給料が上がらない。
だから苦しい。
この話は、確かにその通りです。
でも、そこで終わってしまうと、ただの不満で終わります。
大事なのは、なぜそうなるのか。
そして、その構造の中で自分はどう動くのか。
テレビの中では、証券会社の専門家らしき人が、物価は上がるが給与が上がりにくい仕組みを説明していました。
ただ、話の中心は目先の経済状況でした。
これから上がるのか。
どこまで上がるのか。
家計はどうなるのか。
もちろん、それも大事です。
でも、もっと大事なのは構造です。
資本を持つ側に回るのか。
給与所得だけに依存するのか。
インフレを受けるだけの側にいるのか。
インフレを利用できる側に少しでも近づくのか。
ここを話さないと、いつまで経っても同じです。
株高の恩恵を受けている人は一部です。
それは事実かもしれません。
でも、本来そこから考えるべきことは、
「だから株高なんて関係ない」
ではなく、
「では、どうすれば自分もその一部に少しでも近づけるのか」
だと思います。
もちろん、誰もがすぐに大きな資産を持てるわけではありません。
投資にはリスクもあります。
短期で儲けようとすれば、むしろ危ない。
けれど、構造を理解することはできます。
給与だけでは厳しい時代になっている。
円の価値は相対的に下がっている。
世界の資本は日本に入ってくる。
インフレは、何もしない人の購買力を削っていく。
一方で、資産を持つ人には追い風にもなる。
この構造を知っているかどうか。
それだけでも、人生の選択は変わると思います。
自分の給与所得は1000万円あるから大丈夫?
低いものが脱落して
社会保障制度を利用する
その生活を支えるのは
我々の税金です
どんどん、税金で取られるのは
このくらいの年収の層ですよ
サッカー日本代表の進化には感動しました。
世界の中で、日本人がどう戦うのか。
その答えの一部を見た気がしました。
一方で、ニュースを見ていると、まだまだ日本は
「みんなで我慢する物語」
から抜け出せていないようにも感じました。
テレビばかり見ていたら、そりゃ豊かにはなれない。
少し乱暴かもしれませんが、そんなことを思った一幕でした。
世界は開かれている。
資本も、情報も、機会も、国境を越えて動いている。
その中で、自分だけが
「日本の平均」
に安心していていいのか。
日本代表の選手たちが、世界の中で自分たちの戦い方を磨いているように、
僕たちもまた、世界の中で自分の守り方、増やし方、生き方を考えないといけない。
そんな時代なのだと思います。
Oyaji Diary
