早ければいいのか
先日、警察から手紙が届きました。
小学生の自転車事故が増えているという内容でした。
読みながら思ったことがあります。
僕が子どもの頃、三輪車はどこの家にもありました。
でも今は違います。ストライダーのような、スピードとスリルのある乗り物が当たり前になっています。
自転車に早く乗れるようになる。
それがメリットだと言われます。
でも僕には、そのスキルを早く身につけることに、どれほどの価値があるのか、正直よくわかりません。
なぜなら多くの人が普通に自転車に乗れるからです。
自転車だけではありません。
学習塾も低年齢化しています。
ひらがな、算数——就学前から習わせることが普通になってきました。
早く覚えること、早くできること。
それが子どものためだという空気があります。
でも、本当にそうでしょうか。
僕は、この時期を机に座って勉強するよりも
自然の中で遊びながら「いのちのルール」を体で覚えることの方が、
よほど大事なことだと思っています。
早く学習することの目的はなんでしょうか
「欲望のルール」に支配された目的ではないでしょうか
良い大学に行く、難関大学に合格する、良い会社に就職する。
医学部に行く、医師になる。
自分のようになってほしくない。
自分のようになって欲しい。
そういう親心からなんだと思います。
でも、それが「欲望のルール」のためだとしたら
心を置き去りにして突き進むのであれば
僕は、どこかで大きく躓いてうまくいかなくなると思います。
世の中って、そういうものです。
そういう人をたくさんみてきました。
「早く」は、一つの価値観に過ぎません。
急がなくていいことがある。
回り道にしか拾えないものがある。
それを知っている大人が、そばにいることの方が、どんな早期教育よりも大切なのかもしれない。
本当に特別な才能があるなら別ですが
それは親ではなくても
運命の神様が引っ張り出してくれるでしょう。
だから息子たちには、急いでほしくない。
まずは心をしっかりと育てること。
勉強はそれからでも遅くはない。
心があれば、多少金銭的に貧しくても
笑顔で生きていられるから。
Oyaji Diary