無知はシステムのインフラである

前回の記事と被るところもありますが
とても大事な話なのでお許しください。

 

歴史は、常に金融が動かしてきたと言っても過言ではないと思います。

戦争も、産業も、国家も、革命も、貿易も、
その背後にはいつもお金の流れがあります。

表向きには、正義や理想や宗教や思想が語られます。
けれども、その奥には必ず、
誰が富を持ち、誰が資源を支配し、誰が通貨を発行し、誰が信用を握るのか、
という力学があります。

それなのに、学校教育ではその本質があまり語られません。

もちろん、最近では金融教育が始まりつつあります。

複利を学ぶ。
保険を学ぶ。
家計管理を学ぶ。
投資を学ぶ。
NISAを学ぶ。

それはそれで、とても大切なことです。

お金について何も知らないよりは、
表面的なお金の計算だけでも分かっていた方が、ずっといい。

でも、僕はもう一歩踏み込んでほしいと思っています。

なぜなら、本当の金融教育とは、
お金の増やし方を学ぶことだけではないからです。

お金とは何か。
信用とは何か。
通貨とは何か。
なぜインフレが起こるのか。
誰が金融システムを設計し、誰がその恩恵を受けているのか。
金融危機のたびに、誰が救われ、誰が痛みを引き受けてきたのか。

そこまで考えて、初めて世界の見え方が変わるのだと思います。

富の格差は、知識の格差です。

もちろん、すべてが知識だけで決まるわけではありません。
生まれた環境、家庭、運、健康、人間関係。
いろいろな要素があります。

それでも、大人になってから広がっていく格差のかなりの部分は、
知っているか、知らないか。
気づいているか、気づいていないか。
学ぼうとするか、しないか。

その違いによって生まれているように思います。

では、なぜみんなに本質を教えないのか。

ここを陰謀論的に語ると、
「誰かが意図的に隠している」という話になりがちです。

でも、実際はもっと淡々とした力学なのだと思います。

意図的な隠蔽というより、
システムが自己維持のために自然と生成する分断。

気づく人と、気づかない人。
学ぶ人と、学ばない人。
資産を持つ人と、労働力だけを提供し続ける人。

その差が、社会の中で自然に作られていく。

そして、その分断があるからこそ、
今のシステムは動き続けているのかもしれません。

歴史的にも、同じ構造は繰り返されています。

識字率が低かった時代には、
文字を読める層が権力を持ちました。

情報を読める人。
契約を理解できる人。
宗教や法律を解釈できる人。
記録を残せる人。

そういう人たちが、社会の上位に立ちました。

産業革命の時代には、
工場労働者には「働く技術」は教えられました。

機械を動かす方法。
時間を守ること。
同じ作業を正確に繰り返すこと。
命令に従い、生産性を上げること。

でも、「資本の論理」は教えられませんでした。

なぜ工場を持つ側が富を増やすのか。
なぜ労働者は時間を売り続けるのか。
なぜ賃金と利益には構造的な差が生まれるのか。

そこまでは教えられなかった。

そして現代。

金融リテラシーは教えられるようになりました。
けれども、誰がその金融システムを設計してきたのか、
その仕組みの中で誰が有利な位置にいるのか、
そこまではあまり語られません。

教育とは、知識を与えるものです。

でも同時に、
「どこまで教えるか」を決めるものでもあります。

何を教えるか。
何を教えないか。
どこまでを常識にするか。
どこから先を個人の努力に任せるか。

教育の範囲を決める側が、
社会の見え方をある程度コントロールしている。

そう考えると、
金融教育が始まったことは前進でありながら、
まだ本質には届いていないようにも感じます。

もし全員が同時に、
「現金は目減りする」
「資産を持たなければならない」
「労働収入だけでは限界がある」
と気づいて、一斉に動き出したらどうなるでしょうか。

市場は、今の形では機能しなくなるかもしれません。

誰かが現金を持ち続けるから、流動性が保たれる。
誰かが消費し続けるから、経済が回る。
誰かが低賃金で働き続けるから、企業利益が出る。
誰かが仕組みを知らないままでいるから、仕組みを知っている人が有利になる。

そう考えると、
無知は単なる個人の問題ではありません。

無知は、システムにとって必要なインフラでもある。

これはかなり残酷な見方です。

でも、世の中を眺めていると、
そう考えた方が自然に見える場面があります。

そして情報はそもそも、
受け取る準備ができた人のところにしか届きません。

同じ情報を見ても、気づく人と気づかない人がいる。
同じ本を読んでも、人生が変わる人と何も変わらない人がいる。
同じ言葉を聞いても、引っかかる人と流してしまう人がいる。

情報は、そこに存在しているだけでは意味がありません。

それを受け取る器。
疑問を持つ感性。
自分の人生に引き寄せて考える力。

それがなければ、情報はただ通り過ぎていきます。

そう考えると、税金というものも少し違って見えてきます。

税金は一見すると、
富の再分配による公平と平等のために存在しているように見えます。

もちろん、その側面はあります。

医療、福祉、教育、道路、治安。
社会を維持するために必要な仕組みです。

でも、別の見方をすれば、
税金とは「無知の運営コスト」でもあるのかもしれません。

仕組みを知らない人。
資産を持たない人。
リスクに備えられない人。
学ぶ機会を失った人。
自分で選択する力を持てなかった人。

そういう人たちを、社会全体で支えるためのコスト。

そしてそのコストは、
本質を教えない社会が生み出した結果でもある。

何かがきっかけで気づいた人は、富に近づいていきます。

投資を始める。
税金を学ぶ。
制度を使う。
資産を持つ。
時間を売るだけではない働き方を考える。
自分の頭で仕組みを理解しようとする。

その差は、若い頃には小さく見えます。

でも、大人になってからどんどん広がっていく。

知っている人は、さらに知識を得る。
学ぶ人は、さらに選択肢を増やす。
資産を持つ人は、資産に働いてもらう。
仕組みを理解した人は、仕組みの中でより自由に動ける。

一方で、学ばない人は置いていかれる。

しかも現在は、昔よりも情報格差は縮まりつつあります。

SNSがあり、YouTubeがあり、ブログがあり、書籍があり、無料で学べる情報が山ほどあります。

かつては一部の人しかアクセスできなかった知識に、
今では多くの人が触れることができます。

それでも、学ぼうとしない人がいます。

情報がないのではない。
情報に触れようとしない。
触れても、自分には関係ないと思ってしまう。
難しそうだと避けてしまう。
今まで通りで大丈夫だと思ってしまう。

でも、これからの時代において、
学びは前進ではありません。

学びは防御です。

学ばないことは、停滞ではありません。
後退であり、衰退です。

なぜなら、世界は止まってくれないからです。

物価は上がる。
通貨の価値は下がる。
税金や社会保険料は増える。
雇用は変わる。
AIも進化する。
医療も、教育も、働き方も変わっていく。

自分が変わらなくても、
周りの世界は勝手に変わっていく。

その中で学ばないということは、
その場に立ち止まっているようで、
実際には後ろに流されているのと同じです。

ただ、学ばない理由も分かります。

そこには、知ることへの恐怖もあるのだと思います。

知ってしまうと、
自分がこれまで正しい選択をしてこなかったかもしれない、
という現実と向き合わなければならない。

もっと早く投資をしていれば。
もっと早く税金を学んでいれば。
もっと早く働き方を考えていれば。
もっと早くお金の本質に気づいていれば。

そう思うのは、つらいことです。

だから見ない。
だから聞かない。
だから学ばない。
だから「自分には関係ない」と思う。

無知は時に、自我を守るための選択でもある。

これもまた、責めるだけでは済まない問題です。

人は、知識だけで動いているわけではありません。
感情で動いています。
恐怖で止まります。
自尊心を守るために、現実から目をそらすこともあります。

だからこそ、学ぶというのは簡単ではありません。

新しい知識を得ることは、
今までの自分を一度疑うことでもあるからです。

僕らは、巨大な力学が支配する構造の中で一生を生きています。

国家。
通貨。
金融。
税金。
企業。
労働。
教育。
メディア。
市場。

そういった大きな仕組みの外側に出ることは、ほとんどできません。

完全な自由など、ないのかもしれません。

それでも、その中で少しでも自由に動ける範囲を広げることはできます。

そのために必要なのが、お金です。

お金とは、自由との交換券です。

住む場所を選ぶ自由。
働き方を選ぶ自由。
嫌なことから距離を置く自由。
家族との時間を守る自由。
健康を優先する自由。
学ぶ時間を確保する自由。
誰かに依存しすぎない自由。

お金がすべてではありません。

でも、お金がなければ守れない自由は確実にあります。

だからこそ、僕たちはお金を学ぶ必要があります。

ただ、ここにも大きな問題があります。

その自由との交換券は、
僕らの想像以上にたくさん発行されています。

通貨は増え続けています。
中央銀行のバランスシートは膨らみ、
金融市場には大量のお金が流れ込み、
実体経済の成長とは離れたところで資産価格が上がっていく。

その結果、交換券そのものの価値が、
ものすごい勢いで落ちている。

現金を持っているだけでは、
自由を守っているつもりで、
実は自由との交換券が少しずつ薄まっている。

これが、今の時代の怖さなのだと思います。

お金を学ぶことは、欲深くなることではありません。

お金を学ぶことは、
自分の自由を守ることです。

家族を守ることです。
時間を守ることです。
人生の選択肢を守ることです。

そして何より、
誰かが作った仕組みの中で、
ただ流されるだけの存在にならないための防御です。

無知は、システムのインフラかもしれません。

ならば、学ぶことは、
そのインフラから少しだけ抜け出すための行為です。

完全に自由にはなれない。
でも、自由に動ける範囲を広げることはできる。

そのために、僕たちは学ばなければならないのだと思います。

 

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おのれ

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