小学校1年生の長男の算数の宿題に、こんな問題がありました。
「前から5人を囲みなさい」
「前から5番目を囲みなさい」
一見すると、よくある小学校低学年の問題です。
前から5人。
前から5番目。
(👶👦👶👩👩)👩👩
👶👦👶👩(👩)👩👩
こーゆーことですね。
大人からすれば、何でもない問題に見えます。
でも長男は、
「は?わからん」
という感じでした。
説明すると、なんとか
「ああ、そうかそうか」
という顔をしていました。
伸び代ですね。
公文などをやっている子であれば、もしかすると楽勝なのかもしれません。
でも僕は、この「わからん」という反応が、少し面白くもありました。
なぜなら、これは単なる算数の問題のようでいて、実はけっこう深いからです。
「5人」というのは、量です。
何人いるか。どれだけあるか。
一方で、「5番目」というのは、位置です。
どこにいるか。どの順番にいるか。
同じ「5」という数字なのに、片方は量を表し、もう片方は場所を表している。
たったこれだけの宿題の中に、数字の持つ二つの顔が隠れているわけです。
考えてみれば、「5番目」というのは、ある並びの中の一点を示しています。
前から数えたときの、ひとつの場所。
線の上にある、ひとつの点。
直線でも、曲線でも、順番があれば「何番目」という位置が生まれます。
そう考えると、これはただの算数というより、どこか座標の話にも見えてきます。
僕たちは日常の中で、いつも何かしらの座標の上にいます。
駅の構内を歩いているときも、
教室の席に座っているときも、
家のリビングにいるときも、
誰かと並んで歩いているときも。
自分は、どこかにいる。
そして現実世界において、自分とまったく同じ座標にいる人はいません。
物理的にも、哲学的な意味でも、
自分のいる場所は、自分だけのものです。
「そこにいる」
「ここにいる」
ただそれだけのことに、実は唯一性がある。
そんなふうに考えると、人は存在しているだけで、すでに世界の中にひとつの場所を持っているのだと思います。
誰かと比べて前にいるとか、後ろにいるとか。
何番目だとか、何人中の何位だとか。
そういう見方も、もちろん世の中にはあります。
でも本当は、誰もがそれぞれの座標に立っている。
長男がわからなかった「5人」と「5番目」の違い。
その小さなつまずきの中に、数字の意味、言葉の意味、そして人がこの世界に存在するということの不思議さまで、少しだけ見えた気がしました。
小1の算数の宿題。
たいしたことのない問題のようで、
その奥には、思ったよりずっと深い世界がありました。
Oyaji Diary
