「医師は、身分から職業になった」

SNSなどで、たびたび目にする言葉です。

以前の職場の上司も、似たようなことを話していました。

かつて医師という立場には、良くも悪くも一種の「壁」があった。

病院や医師が今ほど外から評価されることもなく、医療の世界の中だけで物事が完結していた部分も多かったのだと思います。

それが、医療過誤や病院の不祥事などがマスコミで大きく報道されるようになり、インターネットが普及し、今ではSNSや口コミで患者側からも自由に評価されるようになった。

医師という立場を守っていた壁は、少しずつ取り払われていきました。

そして医師も、数ある職業の一つとして見られるようになった。

それを、

「医師は身分から職業になった」

と表現するのだと思います。

それ自体は、悪いことではない

どんな職業にも職業倫理は求められます。

政治家でも、役人でも、教師でも、医師でも同じです。

ある程度の風通しは必要ですし、一般の人から厳しい目で見られることも必要でしょう。

「人の上に人を造らず」

という言葉の通り、医師だから無条件に偉いという社会である必要はありません。

情報がこれだけ自由に行き交う時代になれば、医療だけが閉ざされた世界であり続けることなど、そもそも不可能だったでしょう。

その意味では、医師が「身分」ではなく「職業」になっていくことは、時代の流れとして当然だったのだと思います。

ただし、医師自身の意識も変わった

一方で、社会が医師を一つの職業として扱うようになれば、当然、医師自身も自分の仕事を「職業」として見るようになります。

特に若い医師ほど、それを敏感に感じているように思います。

「医師であること」そのものに価値を感じるというより、

「医師免許を持った自分に、どれくらいの市場価値があるのか」

という視点です。

どこで働けば給与が高いのか。

どの診療科なら生活とのバランスが良いのか。

当直は何回か。

残業はどれくらいか。

自分の時間を一時間使ったとき、いくらになるのか。

そう考えること自体は、決して間違ってはいません。

むしろ普通の職業であれば、ごく当たり前のことです。

「身分」であったからこそ成り立っていた働き方

ただ、ここで一つ考えることがあります。

昔の医師は、今では考えられないような働き方をしていました。

病院に泊まり込み、休日も呼び出され、長時間働く。

時間給に換算すれば、とても割に合わない。

それでも多くの医師が働いていた。

もちろん時代背景もありますし、単純に美化するつもりはありません。

過重労働を肯定するつもりもありません。

ただ、

「医師である」

ということ自体から得られる精神的な報酬が、今よりも大きかったのではないかと思います。

社会的な尊敬。

職業としての誇り。

医師という立場への自負。

そういったものが、金銭では測れない報酬になっていたのかもしれません。

医師免許の「価値」を最大化する

逆に医師が完全に一つの職業になれば、

「医師免許という資格をどう使えば最も効率がよいか」

と考える人が増えるのは自然なことです。

研修を終えると早い段階で美容医療に進む。

あるいは訪問診療の世界に進む。

いわゆる「直美」「直訪」と呼ばれる選択が増えていることも、その一つの表れなのかもしれません。

もちろん、それぞれの領域自体に問題があるという話ではありません。

美容医療にも訪問診療にも、必要としている患者がいます。

そこで真剣に医療をしている医師もたくさんいます。

問題は診療科ではなく、

「自分の医師免許を、最も効率よくお金に換えるにはどうすればいいか」

ということだけが、キャリアを決める中心になってしまうことです。

それを、

「最近の若者は」

という言葉だけで片付けてしまってよいのだろうか。

僕は少し違う気がしています。

社会が医師を「身分」から「職業」にした。

そして医師自身も、自分を職業人として評価するようになった。

その延長線上に、今起きている現象の一部があるのではないでしょうか。

父がよく言っていた言葉

僕の父も医師です。

昔から、よく口癖のように言っていました。

「医療を金儲けに使うべきではない」

その影響もあったのでしょう。

僕には私立の医学部へ進学するという選択肢はほとんどなく、国公立大学を目指しました。

結果として、それは僕にとって良かったと思っています。

逃げ道がなかったから、努力することができました。

父はもう80歳近くになります。

内科の開業医として、今でも細々と診療を続けています。

新しい患者を積極的に増やすこともなく、自分のできる範囲のことだけを静かに続けています。

ある日、母が父に尋ねたそうです。

「病院を辞めたら、何かやりたいことある?」

父は静かに答えました。

「ない」

僕は、その答えを寂しいとは思わなかった

人によっては、

人生が仕事だけだったようで寂しい、

と思うかもしれません。

でも僕は、父ならそう答えるだろうと思っていました。

ずっとその背中を見てきたからです。

そして僕は、

そこまで自分の仕事を自然に人生の一部にできる父を、少し誇らしく思いました。

仕事は、誰かのために働くこと

仕事というのは、誰かのために働くことです。

その結果としてお金をもらい、そのお金で生活をする。

家族を養う。

たまには好きなものを買う。

旅行にも行く。

それで十分です。

お金を稼ぐこと自体が悪いわけではありません。

医師も生活者です。

家族もいます。

将来への備えも必要です。

ただ、お金そのものを目的にしなくてもいい。

誰かの役に立ちながら、自分と家族が生活できる。

それができていれば、僕は十分に幸せだと思います。

そして働く中で少しずつ成長して、

昨日できなかったことができるようになる。

知らなかった知識が身につく。

新しい手術ができるようになる。

以前なら治せなかった患者を治せるようになる。

そういう瞬間があれば、なおさら幸せです。

それで良いじゃないか。

僕はそう思います。

身分でも、職業でも、やることは変わらない

医師が「身分」から「職業」になった。

それはおそらく事実なのでしょう。

社会から見る目も厳しくなりました。

口コミがあります。

SNSがあります。

医療機関も医師個人も、簡単に評価される時代です。

正直、窮屈だと感じることもあります。

でも、

普通に仕事をして、

目の前の患者にできることをして、

家族と静かに暮らしていれば、

世間が医師をどう評価するかということは、案外自分の人生には関係ありません。

身分であろうと。

職業であろうと。

やることは同じです。

父のように、

静かに自分の道を歩く。

誰かの役に立ち、

その仕事で家族を養い、

少しずつ成長する。

そこに、本質的な幸せがあるように思います。

僕が最も尊敬する医師は、父です。

それは、技術や知識に対する尊敬ではありません。

どんな論文を書いたとか、

どんな難しい治療ができるとか、

そういうことでもありません。

その生き様に対する尊敬です。

そしてこれは、一番近くでその姿を見てきた息子だからこそ分かるものです。

だからたぶん、

他のどんな名医が現れても、

父を超えることはないでしょう。

ありがとう、お父さん。

 

僕はお父さんから生き方を学びました。

それはそれは、何年もかけて。

onorenoo

おのれ

@onorenoo

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