SNSでよく見かける、ある新聞への投稿があります。
「一生を終えてのちに残るのは」
三浦綾子さんの小説『続氷点』に登場する言葉をきっかけに、人生の意味について考えた文章です。
一生を終えて残るのは、集めたものではなく、与えたものである。
そんな言葉に、投稿者は若い頃、違和感を覚えたそうです。
お金が貯まれば車を買い、家を買い、欲しいものを手に入れる。
それの何が悪いのだろうか、と。
ところが、30代半ばになり、ふと両親のことを思い出します。
そこで出てくる言葉が、僕にはとても印象的でした。
「苦労を重ねた両親の人生はなんだったのか」
そして、その次に続くのが、
両親が亡くなり、やがて人々の記憶からも消えていく、という話です。
これは、人生の意味を考える上で非常に重要な視点だと思います。

人は忘れられたときに死ぬ?
多くの人が知っている漫画『ONE PIECE』。
僕は詳しくないのですが、チョッパー編に登場するDr.ヒルルクという人物が、
人はいつ死ぬのか。
それは心臓が止まったときでも、病気に倒れたときでもなく、
「人に忘れられた時さ」
という言葉を残しています。
そして、雪の降る国に桜を咲かせるという夢が、後に実現する。
そんな話だったと思います。
誰かの記憶に残ること。
誰かに何かを与えること。
確かに、それは人生の意味の一つなのかもしれません。
でも、僕が今回考えたいのは、もう少し違うところです。

苦労した人生と、苦労のない人生
苦労を重ねた両親の人生。
一方で、生まれながらに十分な資産があり、不労所得で生活できるような、経済的な苦労の少ない人生。
一見すると、後者の方が楽で、心配事も少ないかもしれません。
もちろん、お金の心配がないというのは、大きな幸せの一つでしょう。
でも、ふと思います。
「生きごたえ」は、どちらにあるのだろうか。
苦労といっても、色々あります。
お金なのか、健康なのか、人間関係なのか。
人によって、その中身は違うでしょう。
おそらく、子ども目線で見た親の苦労というのは、やはりお金の面が大きいのではないかなと思います。
家族を養うために働いて、生活費を工面して、子どもの教育費を考えて。
自分の欲しいものを我慢することもあったでしょう。
その姿を見て育った子どもからすれば、
「お父さんもお母さんも、苦労ばかりだったな」
と思うのかもしれません。
でも、本当にそうだったのでしょうか。
苦労した中にも、幸せはあったかもしれない
苦労した中にも、幸せはあったかもしれません。
苦労が少し和らいだときの、家族で過ごす時間。
仕事で疲れて帰ってきても、子どもと一緒にご飯を食べられること。
子どもが笑っている姿を見ること。
そんな当たり前の日常に、幸せを感じていたかもしれません。
今となっては、そして人の気持ちというのは、想像することしかできません。
でも、たとえそれが苦労であっても、何かの目標に向かって進んでいる最中というのは、案外余計なことを考えないものです。
毎日の生活を守る。
子どもを育てる。
家族が安心して暮らせるようにする。
そんな目標に向かって必死に生きている時間は、他人が思うほど不幸ではないのではないでしょうか。
もちろん、苦労すれば幸せになれるという話ではありません。
避けられる苦労なら、避けた方がいいに決まっています。
ただ、苦労が多かったという理由だけで、その人の人生を不幸だったと決めつけることもできない。
そう思うのです。
立ち止まったときに、どう感じるか
僕は、ここが一番大切なのではないかと思っています。
何かに向かって走っている最中は、案外、自分が幸せなのか不幸なのかなんて考えないものです。
仕事でも、子育てでも、日々の生活でも。
目の前のことに一生懸命になっていると、時間はあっという間に過ぎていきます。
でも、ふと立ち止まったとき。
自分の人生を振り返ったとき。
そこで、何を感じるか。
「あの頃は大変だったけれど、楽しかったな」
「あれはあれで、幸せだったな」
そんなふうに思えるかもしれません。
反対に、経済的には十分に恵まれていても、満たされない気持ちで日々を過ごすことだってあるでしょう。
人生の幸せというのは、苦労の多さや少なさ、手に入れたものの量だけでは測れないのだと思います。
大切なのは、立ち止まったときに、自分の人生をどう感じられるか。
そして、その感じ方は、人によって違います。
幸せを感じる感性を磨く
結局のところ、幸せというのは、何かを手に入れることだけではないのだと思います。
もちろん、お金も大切です。
健康も大切です。
人間関係も大切です。
それらを得るために努力することも、人生の大切な一部分でしょう。
でも、何かを手に入れたからといって、必ず幸せになれるわけではありません。
逆に、何もかもが満たされていなくても、幸せを感じられる瞬間はあります。
家族で食卓を囲むこと。
子どもと過ごす何気ない休日。
一日を終えて、家族が元気に過ごせたことに安心する時間。
そんな日常の中にある幸せを、ちゃんと幸せだと感じられること。
それは、案外簡単なことではないのかもしれません。
人と比べたり、もっと何かを手に入れたいと思ったり。
そんな気持ちは、誰にでもあるでしょう。
だからこそ、自分が何に幸せを感じるのか。
何を大切にして生きていきたいのか。
それを考え続けることが大切なのだと思います。
その感性こそ、その感性を磨くことこそ、人生の醍醐味であり、幸せの感じ方なのだと思います。
人生って難しいですね
最初の話に戻ります。
「苦労を重ねた両親の人生はなんだったのか」
その答えは、両親自身にしかわからないのかもしれません。
でも、少なくとも、苦労を重ねたからといって、不幸な人生だったとは限らない。
そして、人々の記憶から消えていくからといって、その人生に意味がなかったわけでもない。
誰かに覚えていてもらえることも、何かを残すことも、もちろん素敵なことです。
けれども、本人が生きたその時間、その日々の中で感じた幸せにも、十分な意味があったのではないでしょうか。
人生を終えたとき、何を残せるのか。
それも大切ですが、
人生を生きている今、何を幸せだと感じられるのか。
僕は、そちらも大切にしていきたいと思います。
人生って難しいですね。
