医師の給料はなぜ上がらないのか――勤務医という職業の未来

医師の給料について話をすると、

「責任の重さに比べて安い」

「これだけ働いているのだからもっともらっていい」

という話になりがちです。

私自身、そう感じる場面はあります。

夜中に呼ばれる。

救急患者を診る。

大きな手術をする。

患者さんが急変すれば予定していた仕事も家庭の時間も吹き飛ぶ。

医療事故のリスクも背負います。

それでも勤務医の給与が劇的に上がることはありません。

しかし最近は、

それはある意味、仕方がないのではないか

とも思っています。

冷たい話に聞こえるかもしれません。

ただ、医師という仕事の収入構造を考えれば、かなり自然なことでもあります。


保険診療では、自分で値段を決められない

一般的な商売では、原材料費や人件費が上がれば、商品の価格を上げることができます。

プライシングパワーのある業界では

1000円で提供していたサービスを、1200円にする。

それによって利益を確保する。

もちろん競争があるので、自由に値上げできるわけではありません。

それでも最終的な価格決定権は、ある程度事業者側にあります。

保険診療は違います。

診察料も。

検査も。

処置も。

手術も。

基本的には公的に価格が決められています。

医師が、

「物価が上がったので、来月から私の診察料を20%上げます」

とはできません。

つまり保険診療の世界にいる時点で、

自分の商品に自分で値段をつける権利を手放している

とも言えます。


医師の給与の原資は、結局は社会保障である

勤務医の給与は病院から支払われます。

しかし、その病院の売上の大部分は保険診療による診療報酬です。

その原資をたどれば、

保険料。

患者負担。

税金。

です。

つまり勤務医の給与を上げるということは、究極的には社会保障費の中から医師へ配分するお金を増やすということです。

もちろん医療者の賃金改善は必要です。

ただ、

「医師は大変なのだから給料をもっと上げればいい」

だけでは済みません。

そのお金をどこから持ってくるのか。

保険料を上げるのか。

患者負担を上げるのか。

税金を投入するのか。

それとも医療の他の部分を削るのか。

必ず誰かが負担します。

だから私は、勤務医の給与には構造的な限界があると思っています。


頑張れば給料が2倍になる世界ではない

ここは民間企業とかなり違うところです。

例えば自分の仕事の生産性を2倍にしたとします。

手術件数を増やした。

難しい患者を引き受けた。

救急患者を断らなくなった。

後輩の教育もした。

病院に大きく貢献した。

だからといって、

翌年の年収が2倍になることはまずありません。

多少の評価はあるかもしれません。

役職がつくかもしれません。

しかし自分が生み出した価値と、自分の収入が直接つながる構造ではありません。

それが悪いという話ではありません。

公的医療とはそういう仕組みです。

患者さんの所得によって医療費を大きく変えないためには、価格を統制する必要があります。

その安定性と引き換えに、医療者も価格決定権を手放している。

私はそう理解しています。


高収入を求めるなら、競争の中へ出るしかない

では、

「もっと収入を増やしたい」

と思った医師はどうすればいいのか。

突き詰めれば、

自ら競争のある世界へ出る

しかないのだと思います。

病院やクリニックを経営する。

自由診療をする。

自分の専門性そのものを商品にする。

そこでは失敗する可能性があります。

患者さんが来なければ収入はありません。

競合が現れます。

広告も必要です。

経営判断も必要です。

医師免許を持っているだけでは成功できません。

しかしその代わり、自分が生み出した価値を自分の収入につなげる余地があります。

つまり、

保険診療の安定性と、自由市場の収益性は交換条件

なのだと思います。

安定した市場にいるのなら、収益の上限も受け入れる。

大きな収益を求めるのであれば、自分でリスクを取る。

これは医療だけではなく、どの業界でも似た話でしょう。


それでも医師は、これまで非常に恵まれた職業だった

とはいえ、医師という資格には長い間かなり大きな経済的価値がありました。

医師免許を取る。

一定の臨床能力を身につける。

それだけで全国のどこかには仕事がある。

病院側が医師を求めているため、多少条件を選んでも働く場所を見つけることができる。

これはかなり特殊な労働市場です。

多くの職業では、

「その会社を辞めたら同じ待遇の仕事があるだろうか」

という不安があります。

医師には比較的それが少ない。

医師不足という社会的背景によって、医師免許そのものに希少価値があったからです。

しかし、この構造が永遠に続く保証はありません。


病院が集約されれば、医師も集約される

前の記事で、

医療資源はもっと集約した方がいいのではないか

という話を書きました。

人を集める。

設備を集める。

症例を集める。

私はその方向には基本的に賛成です。

しかし当然、その先には別の問題もあります。

病院が集約されれば、そこで働く医師も集約されます。

例えば10の病院それぞれに医師が必要だった時代と、数施設のセンター病院に医療機能を集中させる時代では、医師の需要のあり方も変わります。

10病院で必要だった医師数と、1つの大きな病院で効率的に運用するために必要な医師数が、完全に同じとは限りません。

当直も共有できる。

設備も共有できる。

専門医も共有できる。

業務が効率化されれば、

「病院の数が多かったから必要とされていた医師」

という需要は、少しずつ減っていく可能性があります。


医師が余るのか

ここまで書くと、

「では医者が余って失業する時代が来るのか」

となります。

私はそこまで極端なことが近い将来起こるとは思っていません。

医療需要は依然として大きいですし、地域偏在、診療科偏在もあります。

高齢化によって必要になる医療もあります。

医師が働く場所そのものがなくなる、というところまで行く可能性はかなり低いでしょう。

しかし、

「仕事がなくならない」と「待遇が維持される」は別の話

です。

ここが重要だと思っています。


医師の未来は「失業」より「給与が上がらない」かもしれない

私は医師という職業の将来について、

大量失業よりも、

給与が上がらなくなること

の方が現実的な問題だと思っています。

例えば今後10年間、

医師の年収がほとんど変わらなかったとします。

1000万円だった人が10年後も1000万円。

数字だけ見れば、

「医師はまだ高給だ」

という話になるでしょう。

しかし、その10年間に物価が20%、30%上がっていたらどうでしょう。

住宅。

食費。

教育費。

旅行。

外食。

電気代。

サービス料金。

すべてが上がっていく。

年収の数字は同じなのに、買えるものは減っていく。

つまり、

名目給与は維持されても、実質給与は下がる。

この形で医師の経済的地位が少しずつ低下していく可能性は十分あると思います。


気づかないうちに貧しくなる

これは恐ろしい変化ではありません。

給料が突然半分になるわけではない。

失業するわけでもない。

明日から生活できなくなるわけでもない。

だから気づきにくい。

毎年少しずつ物価が上がり、

毎年ほとんど変わらない給与明細を見る。

5年後。

10年後。

ふと振り返ると、

「昔はこの年収でもっと余裕があったな」

となる。

医師という職業は、そういう形で相対的な豊かさを失っていく可能性があります。

個人的には、こちらの方が現実味があります。


忙しい医師ほど給与が低いという矛盾

そして現在の医療界には、もう一つ不思議な構造があります。

それは、

忙しい医師ほど給料が高いとは限らない

ということです。

むしろ逆転することすらあります。

高度急性期病院で、

救急を受け、

難しい手術をし、

夜中に呼ばれ、

若手を教育し、

学会や研究まで要求される。

そういう医師の給与が、必ずしも高いわけではありません。

一方で、人材確保が難しい病院では、

比較的負荷の軽い勤務であっても、高い給与を提示しなければ医師が集まらないことがあります。

経済学的には不思議ではありません。

給与は仕事の大変さだけで決まるわけではなく、

その人をその場所に確保するために、いくら必要か

によっても決まるからです。

しかし医療という社会システムとして考えると、やはりどこか歪です。

最も難しい仕事を担っている人が、最も報われるわけではない。


志だけに依存する医療は続かない

救急を断らない。

難しい患者を引き受ける。

後輩を教育する。

夜中でも病院へ行く。

そういう医師は確かにいます。

しかし、それを

「医師なのだから当然」

で済ませ続けることはできません。

志の高い人ほど仕事が集まり、

仕事が集まるほど疲弊する。

それでも給与には大きな差がつかない。

その状態が続けば、

「それならもう少し楽なところで働こう」

と考えるのは当然です。

これは志が低くなったのではありません。

合理的な選択です。

だから病院を集約するのであれば、

単に人を一か所に集めるだけではなく、

そこで大きな責任を負う人が持続可能に働ける仕組みも必要です。


「医師であること」だけでは足りなくなるかもしれない

そして、これから少しずつ変わっていくのではないかと思うことがあります。

これまでは、

医師免許を持っている

こと自体に大きな価値がありました。

これからは、

「医師であること」に加えて、

この医師は何ができるのか

がより重要になるのではないでしょうか。

どんな手術ができるのか。

どんな患者を診られるのか。

救急に対応できるのか。

専門性はあるのか。

患者から選ばれるのか。

組織をまとめられるのか。

後輩を育てられるのか。

研究ができるのか。

あるいは経営ができるのか。

病院の集約化が進み、一つの施設に多くの医師が集まれば、必然的に比較も起こります。

今までは、

「この地域に医師がいないから来てください」

だったものが、

「あなたはこの病院で何を担えますか」

へ変わる可能性があります。

つまり保険診療の世界にも、少しずつ競争が入ってくる。

それ自体、必ずしも悪いことではありません。


医師も市場から完全には逃れられない

医療は特殊な世界です。

国家資格があり、

診療報酬があり、

社会保障制度があり、

一般企業とは違うルールで動いています。

だから市場競争とは無縁に見えることがあります。

しかし完全に無縁な職業などありません。

人口が変わる。

病院の数が変わる。

医師の数が変わる。

技術が変わる。

社会保障の財源が変わる。

そうすれば当然、医師の価値も変わります。

「医師だから大丈夫」

ではなく、

医師として何を提供できるのか

を考える必要がある時代になるのかもしれません。


それでも、悲観する話ではない

この話を書くと、

「医師の将来は暗い」

という結論に見えるかもしれません。

私はそうは思っていません。

医師という仕事は、これからも必要です。

人が病気になる限り、医療はなくなりません。

そして高度な技術を持つ医師、患者から信頼される医師、難しい仕事を任せられる医師の価値がなくなることもありません。

ただ、

医師免許を持っているだけで経済的に安泰だった時代が、少しずつ変わる可能性がある

というだけです。

それは他の多くの職業では、すでに当たり前のことです。


安定を取るか、競争に出るか

保険診療の勤務医として働く。

これは非常に安定した選択です。

売上を毎月心配する必要はありません。

患者さんに値段交渉をする必要もありません。

経営の失敗で借金を抱える可能性も低い。

その代わり、

自分の収入を自由に決めることもできません。

一方、

経営する。

自由診療をする。

自分の名前で患者を集める。

そうすれば上限は高くなります。

しかし失敗する可能性も引き受けることになります。

どちらが正しいという話ではありません。

安定には安定の値段があり、自由には自由の値段がある。

それだけの話です。


医師の給料が上がらないのは、不思議ではない

医師は大変なのだから、もっと給料を上げるべきだ。

その気持ちはよく分かります。

しかし社会保障の中で働き、

公定価格の医療を提供し、

給与の原資を社会全体で負担している以上、

医師だけが永続的に豊かになり続ける仕組みにはなっていません。

それを不満に思うことは自由です。

ただ、

それならば自分でリスクを取るという選択肢もあります。

経営する。

自由診療へ行く。

専門性を高める。

自分にしか提供できない価値を作る。

競争の中へ出る。

これからの医師に必要なのは、

「医者になれば一生安泰」

という感覚ではなく、

自分は医師として何を提供できるのかを考え続けること

なのかもしれません。

医師が余って失業する未来まで心配する必要は、今のところないと思います。

しかし、

給料はそれほど上がらない。

物価だけは上がる。

気づけば実質的な豊かさは少しずつ失われている。

そんな未来は、十分あり得る。

だからこそ、

医師免許そのものではなく、

その免許を使って何ができるのか。

そこに価値を作っていくことが、これからますます大切になるのだと思います。

onorenoo

おのれ

@onorenoo

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