5.医師の仕事は、科学をインプットして「ことば」でアウトプットする仕事
ここで、少し視点を変えます。
医師という仕事をしていると、インプットしているのはほとんどが「医学」や「科学」です。
- 病態生理
- 薬理
- 手術手技
- 統計やエビデンス
頭に詰め込んでいるのは、かなり理系寄りの知識ばかりです。
しかし、アウトプットの瞬間に求められているのは、
「科学の暗唱」ではありません。
- どう説明するか(コミュニケーション)
- どんな言葉を選ぶか(ある種の文学性)
- どこまで踏み込んで伝えるか(価値観)
医師という仕事は、
インプットのときは医学・科学。
アウトプットのときは医療であり、文学であり、コミュニケーション。
そんな側面を持っています。
言葉のメスと、モラトリアムの時間
僕は最近、精神科の先生方を見ていて、
彼らは**「言葉のメス」**を持っているのだと感じるようになりました。
- 「あなたのしんどさは、決して甘えではありません」
- 「こう感じてしまうのは、病気のせいでもあります」
- 「一緒にやっていきましょう」
こういった言葉は、見えないところで人の心に切れ目を入れ、
うまくいけばそこをそっと縫い合わせます。
その意味では、すべての医師が、それぞれの現場で小さな「言葉のメス」を握っています。
こういうことを考え始めたのは、
ある意味で、自分の中のモラトリアムなのかもしれません。
人間、常に走り続けることはできません。
- 自分の医療を振り返る時間
- 選んできた言葉を反省する時間
- これからどうありたいか、ぼんやり思い描く時間
そういった“立ち止まる時間”の中で、
「言葉のメス」という発想が浮かんできたのだと思います。
直美の問題を考えることも、
僕にとってはこのモラトリアムの延長線上にあります。
6.直美の医師が見ている景色と、まだ見えていない景色
話を直美に戻します。
直美を選ぶ医師たちは、きっと
先輩医師たちの行く末に限界を感じているのだと思います。
- 働き方がきつそう
- 収入も頭打ちに見える
- 将来像があまりワクワクしない
そういった「目に見える部分」だけを切り取れば、
保険診療の世界が魅力的に見えないのも、ある意味当然です。
一方で、実際の医学はものすごく奥が深い世界でもあります。
- 科学としての精密さやロジック
- 「人間とは何か」「生きるとは何か」という哲学的な問い
- 一人ひとりの人生に触れることで得られる、言葉にならない気づき
こうした面白さは、教科書や数ヶ月のローテーションではなかなか伝わりません。
でも、多くの中堅以上の医師は、心のどこかにひそかにこう思っているはずです。
「この学問、やっぱりとんでもなく面白いんだよな」
直美の医師たちが見ているのは、
先輩医師の働き方や収入といった、目に見える情報だけ
であることが多いのかもしれません。
学生+2年の研修という、かなり限られた物差しでこの世界全体を測ってしまっている。
本来であれば、彼らの潜在的な頭の良さと吸収力があれば、
- 新しい医療の形をつくる
- 学問を深化させる
- 医療と社会の橋渡しをする
ことだって十分できるはずです。
そこまでの「面白さの地平」まで、
教育側が見せきれていない。
これも直美が増える背景のひとつだと感じています。
7.「患者さんのため」という言葉の軽さと、正直であること
これは僕の個人的な感覚ですが──
直美の医師が言う「患者さんのため」という言葉ほど、嘘っぽく聞こえるものはありません。
もちろん、中には本気でそう思っている人もいるでしょうし、
必ずしも嘘だと決めつけたいわけではありません。
でも、たとえ外向きにどう見えようと、
自分に嘘をつきながら続けている仕事で、本当にいいのか?
という問いは、一度は自分に向けてみた方がいいのではないかと思います。
僕としては、いっそこれくらいストレートに言い切ってくれた方が、まだ納得がいきます。
「自分は技術があって手術がうまい。
その技術を活かして美容に携わっている。
その結果として高い報酬も得られるし、
患者さんも喜んでくれる。
それが嬉しいんだ。」
お金やQOL、自分の承認欲求。
そういったものを全部“ないこと”にして、
きれいな言葉だけを掲げるよりも、
- 自分は何のためにこの仕事をしているのか
- どこまでが自分の欲で、どこからが本当に患者のためなのか
そのグラデーションを自覚したうえで、なおこの道を選ぶ。
その方が、よほど誠実な在り方だと感じます。

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