「足るを知る(たるをしる)」という言葉を目にすることが増えたように思います。
物質的に豊かな時代であるはずなのに、
なぜ人は「足りない」と感じ続けてしまうのか。
その根源にあるのが、欲望と満足という二つの概念です。
■ ブッダの言葉「少欲知足(しょうよくちそく)」

「足るを知る」の原点は、仏教における「少欲知足」という教えにあります。
ブッダはこう語っています。
「欲を少なくし、足ることを知る人こそ、真に自由である」
欲望を否定するのではなく、「欲に支配されない自由な生き方」を説いたこの言葉。
背景には、欲望が煩悩となり、人の心を苦しめるという仏教の根本思想があります。
■ 空海の思想と“満ちる”という感覚

弘法大師・空海もまた、「内なる心の静けさ」や「本質を見極める目」を大切にしました。
たとえば、真言宗の教えにおいては「悟り=すでにそこにあるものを感じ取る力」であり、
外に求めてはいけないのです。
現代人が「足りない」と思う時、実は“持っていない”のではなく、
“すでにあること”に気づけていないことが多い。
空海は、「足るか足りぬかではなく、心が満ちているか」を重視したといえるでしょう。
■ 日本人と「足るを知る」

この考え方は、やがて“わびさび”の美意識や、禅の思想へとつながり、「日本人らしさ」の根底にもなっていきます。
たとえば、茶の湯に見られる“簡素さの美”、
修行僧が一汁一菜で生きることの凛とした美しさ、
これらはすべて、「足るを知る」という感覚が支えている文化とも言えます。
■ 「足る」が“妥協”にすり替わる危うさ

しかし、現代においては、この「足るを知る」が誤って「我慢」「諦め」として語られることも少なくありません。
現状に甘んじることが“美徳”とされると、本来の意味から遠ざかってしまいます。
■ まとめ(前編)
「足るを知る」とは、ただ欲を抑えるという話ではありません。
ブッダも空海も語ったのは、「欲望に支配されず、今を正しく見つめ、心が穏やかであること」。
後編では、この言葉が現代社会の中でどう使われているのか。
そして私たちがどう付き合っていくべきかをさらに掘り下げていきます。
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