おだまりなさい、老害ババア どうせ、で人生を腐らせる人

エッセイ

週末、家族で箱根を旅しました。
いつもは車で行くんですが。
でも今回は子どもたちが電車に乗りたがったので。

出費も増えるし。
乗り換えも面倒だし。
荷物も多いし。
(そして正直、ゆっくりしたかった妻には本当に申し訳ない。これは反省)

行きは特急。帰りは諸事情で在来線に乗って帰りました。
席の都合で、妻と次男、僕と長男が少し離れて座ることに。

次男は元気。元気すぎる。
周りに迷惑をかけないのが最優先なので、妻はスマホで動画を見せていたらしい。
はい、子育ては“理想論の教科書”じゃなくて、“現場の運用”も大事です。
医学と医療の違いってところでしょうか。

すると、妻の正面に座った5〜60代くらいの女性グループが、わざわざ聞こえる声量で始めたという。

「あんな小さい頃から動画を見せるだなんて」
「だから最近の子は視力が悪いし、斜視とかになるのよ」
「こんな年齢で旅行に行っても、どうせ何にも覚えていないんだから」
「どうせ夕方ぐずつくのよ」

──出た。老害め。

いやさ、まずね。
聞こえる声で言うなよ、と。
思うのは勝手だが、それをわざわざ聞こえる音量でいうなよ、と。
どっちの方がデリカシーがないねん。
あなたの人生の説教を大音量で流す“車内ラジオ”、誰も契約してないんよ。

でも僕は、この話を「ムカついた」で終わらせたくなかったので記事にしました。
なぜなら、この“どうせ”って言葉、思考停止ボタンとして強烈だと思ったからです。
そして、気づけば僕ら自身も押してしまうので要注意です。

「どうせ覚えていない」なら、旅は無駄?

結論:なわけがない。

子どもが細部を覚えていない? そうかもしれない。
というか、そうだろうよ。
子供が覚えていないからって理由で旅に出ない親がいるだろうか?
そして「覚えていない=意味がない」って、どんな短絡ですかって話。

覚えていなくても、

  • 一緒に移動した時間
  • 初めて見た景色
  • 家族のテンション
  • “連れてきてもらえた”安心感
  • 日常と違う刺激

こういうものは、言葉にならないまま心の奥に溜まると思います。
写真フォルダには残らなくても、人格の土台に残ると思っています。

科学的じゃない?
あんたらの生活がどこまで科学的か?って話ですわ。

“記憶”って、テストの点みたいに取り出して見せるものだけじゃないし。
気づかないうちに、あとから効いてくるものだってあるわけで。

愛された記憶
大事にされた記憶

これらはいつか大人になったら
同じようなことを次の世代に渡していける
そんな子に育つと僕は信じています。

「どうせ」は、挑戦をやめるための呪文

今回、僕が一番嫌だと思ったのはこれ。

「どうせ」

言った瞬間、未来の扉を自分で閉めていく。
しかも“賢そうな顔”で閉められる。
まるで識者のような口調で言えるでしょ。
評論家じみたクソみたいな言葉で、最悪だ。

「どうせうまくいかない」
「どうせ失敗する」
「どうせ無駄」

それは予言じゃないし。
逃げの正当化ですわ。

後輩に言えば、芽を摘んでしまう。
自分に言えば、現状維持が“正義”になる。
要するに「動かないための免罪符」。便利。だから危険。

医療にもある。「どうせうまくいかない病」

自省も大事ということで、僕がハッとしたのは以下の点です。
偉そうに語ってるけど、僕だって使うことがあるのも事実です。
特に仕事の際に。

医療の原則は科学であるべきで。
期待値も一般論も大事です。
でも、それを盾にしてこう言った瞬間、

「どうせうまくいかないから」

熱量が落ちてしまいます。
工夫が減ります。
チームの空気が冷えます。
その結果、本当にうまくいかない方向へ寄っていきます。

つまり“どうせ”は、未来を読む言葉じゃなくて
右肩下がりを作る悪手へ導く可能性を秘めている。
未来を悪く作る言葉でもあるわけで。

もちろん、無謀を肯定したいわけでもない。
でも医療には、成功率が低くても「挑戦した」という事実が納得感になる場面もあります。
結果だけでなく、過程が人を救うこともあります。


そこに「どうせ」を置くのは、雑すぎる。

という塩梅でしょうか。

「どうせ」で切る前に、まず自分の人生を点検しろ

挑戦が

  • 人の道を外れていない
  • 多くの人を踏みつけない
  • 失敗しても人生が決定的に壊れない

この条件なら、「どうせ」で一刀両断して気持ちよくなるのは怠慢です。

怠慢な言葉は、怠慢な人生を作る。
そして怠慢を積み重ねた人ほど、他人の挑戦を笑う。
自分がやってこなかったから。
できなかったんじゃない。

“どうせ”でやめただけ。

だから僕は挑戦する人が好きで
とてもリスペクトします。
挑戦する人と話をする機会があれば
その前向きな気持ちをインタビューするようにしています。

「どうせ」を積み上げた現在地

最後に、あのグループへ。

あなたたちの現在地は、あなたたちが積み重ねた「どうせ」の結果です。
そのぬるま湯が気持ち良ければ
それはそれで良いことですから
何もいうことはありません。

でもそのようなマインドを持つ人に憧れることはありません。
一事が万事。
そのような発言をする人が他の場面で尊い行いをしているとは思えません。

幸せそうな人って、貧富に関係なく共通点があると思います。
少なくとも、日々の言葉が「どうせ」でベタついてないと感じています。

僕もこれから、できるだけ「どうせ」を捨てて生きたいと。
公共交通機関で、最高の反面教師に出会わせてもらったと感じています。

……ということで。

おだまりなさい。
でも、成長の機会をありがとう。

僕は先に進みます。
あなたたちはその席で、ずっと“どうせ”を反芻していてください。
さようなら。

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