大学病院に勤める医師です。
最近、「国立病院機構が400億円の赤字」と報じられた。皆さんもご存知でしょうか??
普段、病院経営などに関心が薄い人でも、さすがにこの金額には驚いたのではないだろうか。
医療は、人の命と向き合う場であると同時に、経済と制度の狭間で綱渡りを強いられる業界だ。特に保険診療という制度の中にある限り、診療報酬は政府が決め、値上げ交渉などは基本的にできない。一方で、薬剤や材料、光熱費、人件費といった支出はインフレの波を受けて上昇し続ける。これでは、帳尻が合わなくなるのも当然である。
医療における「当たり前」のコストとは
医療の現場には、“万が一”のための備えが求められる。
特に公益性の高い大学病院ともなれば「最後の砦」としての役割とプライドがある。
もはやプライドのみでは経済的に継続可能な状態は維持できない段階なのかもしれない。
高度医療を提供するためには多額の設備投資が必要である。
薬剤や機材の在庫は、必要最低限よりもやや多めに用意されている。
それが医療の安全性を担保している側面もある。けれども、それは経営的には“過剰在庫”という扱いになる。さらに、人件費についても、医療従事者の賃金はこれまで低水準で推移してきたと言われているが、ここに来てようやく是正の動きが見えてきた。
大学病院の給与は決して高くない。私立の大学病院であれば尚更である。
医師5年目の時は年収200万円だった。
赤字は本当に“問題”なのか?
この赤字がなぜ生じたのか、その背景まで含めて考えたい。単に経営努力が足りなかったという単純な話ではない。制度設計上、医療機関は自由に価格を決められず、支出だけが増えていく構図にある。
これをいうと社会保険料の増額、増税など
現役世代への経済的負担が議論に上がる
本当にまず議論すべきはそこなのだとうか?と疑問を感じる。
例えば「外国への支援」や「政治的な寄付」は、自由度が高く、しかもチェックが甘いまま進んでいるケースもある。たとえば、アフリカのワクチン支援には国立病院の赤字を上回る額が費やされているという。これはまるで、自分の子どもの入院費を払えない家庭が、ユニセフに募金しているような構図にも見える。
本当に守るべき“資源”とは何か
日本という国が、何を守り、何を後回しにするのか。
その優先順位のつけ方には、時に疑問を感じる。もちろん、国際貢献も大切だ。世界の一員としての責任もある。けれども、その前に、自国の医療や教育、インフラなど、生活の基盤を担う部分をおろそかにしていないか。
「現役世代の保険料が上がる」「次の診療報酬改定では引き締めが必要だ」など、負担増の議論は常に現場に向けられる。しかし、そもそも国の予算配分に“ゆがみ”がないか、政治や財政の設計の側からも検証されるべきではないか。
まとめ:赤字よりも怖い“無関心”
400億円の赤字。それは確かに数字としては大きい。けれども、もっと大きな問題は、その構造が見えにくいこと、そして我々がそれを「仕方ない」と受け入れ続けてしまっていることだ。
見えにくい赤字、気づきにくいゆがみ。それを見過ごすことこそが、本当のリスクなのではないかと思う。私たちは、国家の財布を「家計」として捉え直す視点を持ち、優先順位を再考する必要がある。自分の子どもの医療費すら賄えない家計であれば、まずそこを立て直すのが筋なのではないか。
自分達の利益ばかり考えて予算配分してはないか?
厳しい目で国民が監視することが大事だけれども
国民は日々の生活で精一杯
テレビから流れる嘘のニュースや、
どうでもいい番組に夢中(霧中)なのである・・・。
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