" /> 医師15年の私が感じた「医療の構造的な闇」と教育の限界 | おのれの緒  〜い・しょく・じゅう〜 

医師15年の私が感じた「医療の構造的な闇」と教育の限界

医療のこと

医学部を目指す方へ。本質を考える医師からのメッセージ

こんにちは。本質を大切に考える、現役の臨床医です。
この記事では、私自身の経験をもとに、医師という職業の現実、医療業界の構造、そして医学部教育の課題について率直に綴っていきます。

自分の立場を棚に上げて語るのは、何かを守ろうとして本音がぼやけてしまうのを避けたいからです。少しでも、医学部を志す方や若手医師の参考になれば幸いです。


医師という職業の実情について

私は現在アラフォーで、臨床現場での経験は15年以上になります。その中で強く感じているのは、「仕事熱心な医師」は意外と多くない、ということです。体感的には、勤務医の約7割があまり熱心ではなく、正直レベルが低いと感じる場面も少なくありません。

あるとき、バイト先の医療事務の方に「○○病院の脳外科医、竹田くんってご存じですか?かなりやばいですよね」と言われたことがあります。正直、医学部の1学年100人のうち、明らかに問題がある人が10人くらい、かなり危ない人も2~3人はいるという印象です。

一方、開業医の先生方は、自分の診療がそのまま収入に直結することもあり、比較的熱心な方が多いように思います。ただ、クリニックではどうしても提供できる医療の範囲が限定されてしまうため、高度な治療を行うには大学病院などの特定機能病院に所属するしかありません。

しかし、そのような病院では給与が安く、私生活との線引きも難しいことが多く、やりがい搾取だと感じている医師もいます。本来、医師の使命を考えれば報酬は二の次…という考え方もありますが、それが通用するのは一部かもしれません。


ガイドラインと製薬利権の現実

内科領域では、治療方針が薬物療法であることが多いため、ガイドラインに従った治療が推奨されます。もちろん、患者さん一人ひとりの状況に応じた対応が大切ですが、真面目な医師ほど「ガイドラインに書いてあるから」という理由で治療方針を決めがちです。

私自身、ガイドラインは非常に参考になる反面、一種の“束縛”のようにも感じています。エビデンスに基づく医療という建前の裏に、「そのエビデンスは誰の利益のもとで作られたのか?」という視点も必要ではないでしょうか。

製薬会社の影響力が強いのは事実で、新薬の承認やガイドラインへの採用には商業的な思惑が絡んでいることもあります。例えば、かつて話題となったディオバン事件もその一例です。

医師の多くはこの構造にうすうす気づいていますが、現場でそれに逆らうのは非常に難しいのが現実です。ガイドラインの外に出た治療は保険適用外であったり、医療機関からの圧力を受けたりするリスクもあります。

つまり、医師が意図せず製薬利権の中で「最善」と信じる治療を選んでいる可能性がある、ということです。そしてこの構造は、製薬会社だけでなく、薬価やルールを決める国の制度とも密接に関係しています。


医学部教育における違和感と課題

医学部では、6年間をかけて膨大な知識を学びます。解剖学や生理学、内科学や外科学、病理やゲノムなど、幅広い分野を学び、試験を乗り越えてきました。

しかし、私は常に違和感を感じていました。
医学部では、病気の「診断法」や「治療法」は学びますが、「なぜ病気になったのか?」という根本原因についての教育はほとんどありません。

例えば糖尿病についての授業では、「初期には食事療法が重要」とは教えられますが、実際の食事内容や具体的な指導法まではほとんど触れられません。

私は、多くの病気は日々の生活、とくに「食事」が大きく関係していると考えています。しかし、医学部ではその食事に関する体系的な教育はほとんど受けていませんでした。

ですので、医師に「食事について教えてください」と聞いても、的確な答えが返ってこない場合があるかもしれません。「バランスよく食べましょう」といった抽象的な助言が多くなるのも無理はないのです。


病気を「治す」よりも「管理する」方が都合がいい?

食事を整えることで病気を防ぐ、あるいは治すという考え方は、古くから伝わる知恵であり、非常に理にかなっています。経済的にも医療費を抑えるという意味で合理的です。

しかし、「病気を治す」よりも「長期的に薬で管理し続ける」方が、医療ビジネスとしては成り立ちやすい構造になっているのも事実です。

特に高血圧や糖尿病といった慢性疾患においては、根本原因に向き合うよりも、投薬によるコントロールが主流です。この流れは、患者さんにとって本当に最善なのか、医師として悩ましく感じる部分です。

コメント

タイトルとURLをコピーしました