僕と同じように株式投資をしている後輩医師がいます。
たまに資産運用の話をするのですが、その中で彼がよく口にする言葉があります。
「含み益は幻ですからね」
最初に聞いたとき、僕は少し引っかかりました。

たしかに、言いたいことはわかります。
含み益は売却して初めて確定利益になる。
どれだけ口座の数字が増えていても、売らなければ自由に使えるお金ではない。
そういう意味では、まだ“途中”の価値です。
でも、本当にそれは幻なのでしょうか。

株価は日々動きます。
昨日あった含み益が今日は減っていることもあるし、逆に大きく伸びていることもあります。
その不安定さを見れば、「確定するまでは本物ではない」と言いたくなる気持ちも理解できます。
ただ、ここで一つ立ち止まって考えたいのです。

たとえば、株式として持っている含み益10万円と、利益確定して口座にある現金10万円。
多くの人は後者の方が確かなものだと感じるでしょう。
たしかに現金は、その瞬間から何にでも使えます。
けれど、現金もまた絶対的な価値を持っているわけではありません。
インフレが進めば、昨日の10万円で買えたものが、今日の10万円では買えなくなる。
つまり、現金もまた静かに価値が変動しているということです。

そう考えると、株の含み益だけを「幻」と呼び、現金を「確かなもの」と見なすのは、少し一面的にも思えます。
お金は本来、手段です。
現金でも株式でも、それ自体が目的ではありません。
何かの価値と交換して初めて意味を持つものです。
そうであるなら、まだ売っていない株も、まだ使っていない現金も、
どちらもある意味では価値交換の途中にあるものだと言えます。

だから僕は、含み益を単純に「幻」と言い切ってしまうことには、少し違和感があります。
それは幻なのではなく、まだ確定していない価値です。
そして現金もまた、確定しているように見えて、実は価値が揺らいでいるものでもあります。
ただ一方で、最近はその後輩の言葉の意味も少し違って見えるようになりました。

彼は決して、投資を雑にしている人ではありません。
むしろ堅調で、浮ついた印象のない投資を続けているタイプです。
そんな彼が「含み益は幻」と言うのは、資産の本質を見誤っているからではなく、
自分に対する戒めとしてその言葉を使っているのかもしれません。
つまり、
含み益に現を抜かすな。
まだそれで何かを成し遂げたわけではない。
相場が良かっただけかもしれない。
その数字に酔うな。
そういう意味です。

この視点に立つと、「含み益は幻」という言葉も、また違った重みを持ってきます。
含み益そのものは幻ではありません。
でも、含み益に気を大きくしてしまう心、
自分の実力以上のものを見てしまう感覚、
そちらの方がよほど危うい。
堅実に投資を続ける人ほど、資産額の上下そのものよりも、
それによって自分の心が乱れることを警戒しているのだと思います。
だから結局、大事なのは
「含み益は幻か、本物か」という二択ではないのでしょう。

含み益は、たしかに価値です。
でも、それはまだ未確定の価値でもある。
一方で現金は確定しているように見えて、時代の中で静かに目減りしていくこともある。
その両方を理解した上で、
数字に酔わず、現金を過信せず、
資産の“形”ではなく“本質”を見ること。
そこに投資との健全な距離感があるのだと思います。
「含み益は幻」と言う人は多い。
でも本当に注意すべきなのは、含み益そのものではなく、
その数字に安心したり、酔ったりしてしまう自分の心なのかもしれません。

そしてもう一つ。
「現金の価値は変わらない」と無意識に信じている人も、
これからの時代は少し危ういと思います。
株価は激しく動くから不安に見える。
現金は数字が変わらないから安心に見える。
でも、見た目が静かだからといって、価値まで静かとは限りません。
含み益を幻と呼ぶ前に、
現金の価値もまた揺れているという事実には、もっと敏感でいたい。
そんなことを思います。




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