職業は医師をしています。
ですが、いわゆる“真面目”なタイプではありません。かといって不真面目でもなく、ただの「普通の人」です。
人の役に立つことには喜びを感じますが、疲れたときには不機嫌になったり、興味のない医療の分野にはまったく関心が持てなかったりと、わりと気分屋で自分勝手な一面もあります。
受験や試験がたまたま上手くいって医師になったようなもの。特別な人間ではありません。
医師としての歩み、そしてこれから

気づけば医師として十数年。
目の前の患者さんのために、全力で学び、働いてきました。
「ずっと若手のつもり」でいましたが、ふと気づくと、人生の折り返し地点を少し過ぎた年齢。
男性の健康寿命が70歳台と言われる今、役割や立場も少しずつ変わってきたことを感じます。
これからは、「いかに自分らしく生きるか」を改めて見つめ直す時期に差し掛かっていると感じています。
自分なりの価値観と選択

日々を過ごす中で、基本的には「最後はなんとかなる」と思っています。
でも、それは決して楽観ではなく、「日常の積み重ね」があるからこその感覚です。
正しく生きる努力を続けていれば、きっと救われる。そう信じています。
医師として10年ほどが経ったころ、医学の勉強だけでは「良い医療」は実現できないと気づきました。
きっかけは、医療業界の収入構造への疑問、結婚や家族をもったことで考えざるを得なかったライフプランの現実、そして「資産形成」という新たな視点。
医療の外に出てみて、自分たちがいかに「情報弱者」であったかを知りました。
リテラシーを高めるということ

世の中の仕組みに対して疑問を感じるようになりました。
ただ、それらはすでに制度や構造として出来上がっており、1人で声を上げたところで変えられるものではありません。
だからこそ、「決められたルールの中で、どう生きていくか」が重要だと思うようになりました。
リテラシーを高めることは、本質を見抜く力につながり、
本質を考えることは、無駄を省き、シンプルに、自分らしく生きるための術になります。
最も大切なのは、「自分はどう生きたいのか」を見失わないこと。
その指針となるのが、価値観です。
最適解を見つけるために

何かを選ぶとき、決めるとき、
「自分にとっての価値判断基準は何か?」と、日々自問自答しています。
まだまだ未熟なので、時に欲に流されることもありますし、
逆に、心から利他的な気持ちになる瞬間もあります。
価値観は、成長とともに変わっていいもの。
だからこそ、常にアンテナを張りながら、良い方向へ更新し続けていく意識を持ちたいと思っています。
そのために大切なのが、「感覚を研ぎ澄ます」こと。
ヒントは日常の中に、いつも転がっています。
感謝の気持ちを持って周囲を見れば、何が大切かが自然とわかるようになる。
危険なものに近づかず、信頼すべき人を見極める力も磨かれていきます。
これはスピリチュアルな話ではなく、日々の“感度”の話です。
そして、この感覚を次世代にも伝えていきたいと思います。
教育とは、「自分で選ぶ力」を育てること

子どもたちには、どんな時代になっても
「自分で考え、自分で選ぶ力」を持ってほしい。
そのために必要なのが、日常の中で“気づき”を得ること。
そうした気づきが積み重なることが、教育だと考えています。
日本を生きるということ

少し話が逸れますが、いろいろと学ぶ中で、
今の日本が抱えている深い問題にも意識が向くようになりました。
私自身、日本が好きで、日本人であることに誇りを持っています。
だからこそ、土地・水源・通信・食文化など、次々に“手放されている”現状に心が痛みます。

教育を通じて、日本人らしさが失われようとしている現実。
偏った報道によって、情報や民意が操作されている社会。
このままでは、日本人が「日本人として生きる」ことすら難しくなると危惧しています。
だから私は、声をあげたいと思いました。
まずは、日々の暮らしの中で、「本質的なことを考える」ことから始めようと。
このブログについて

このブログでは、日々感じたこと、学んだことを
現実的な視点と、時に少し精神的な視点から発信していきます。
内容は些細なことばかりかもしれません。
ただ、これはあくまでその時点における、一個人の考えと選択です。
それでも、いつか同じように悩み、考える誰かのヒントになればと願っています。
これは、私自身の“はじまり”。
「おのれの緒(お)」、ここから始めてみます。

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