【奇妙な考察】ゴールド・エクスペリエンス・レクイエムと「真実」:構造を知らぬ者に待つ“永遠の死”

マインドフルネス

『ジョジョの奇妙な冒険 第5部』の終盤、ラスボスであるディアボロは「死」という結末を与えられず、永遠に“死に続ける”運命を背負います。

ゴールド・エクスペリエンス・レクイエム「真実には到達できない」という能力は、単なるバトルの演出を超えて、“本質から切り離された生”がどれほど恐ろしいかを、私たちに突きつけてきます。

これはフィクションの話ではなく、現代社会に生きる私たち一人ひとりに問いかけられている現実のメタファーなのではないでしょうか???

どんな人に向けた記事か

・アニメやマンガを哲学的に読み解きたい人
・現代社会の情報構造や欺瞞に違和感を感じている人
・「真実」や「意志」を持つことの意味を考えたい人
・ジョジョ好きで第5部のテーマに深い共鳴を感じた人

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ディアボロの「死なない死」とは何か

レクイエムの能力によって、ディアボロは“何かしらの死”を永遠に体験する存在になります。
その死は確定せず、彼は何度でも「真実に至らない世界」に引き戻される
そして、繰り返す「死の体験」に対して、「もうやめてくれ」と叫びます。このスタンド能力がどれほど残酷で終わりのない試練を与え続けているのか?を見せつけられた名シーンだと思います。

そして、今になって思うのは、我々現代人も同じような状況に置かれているのでは?という疑問です。
この状態はまさに、嘘と錯覚に満ちた情報空間で“本質”を知らぬまま生き続ける現代人の姿を映しているようにも見えます。

「何が本当かわからない」「何を信じればいいのかわからない」――そんな情報の海に漂っている私たちは、自分の死ですら主体的に迎えることができないディアボロのような存在なのかもしれません。

「真実に到達しようとする意志」こそ人間性

物語中、ある仲間がガラスの山から証拠の「ガラスの破片」を探し続ける回想シーンがあります。
他の仲間が「無理だ」と言い放っても、その人物は「真実に到達しようとすること自体が大事なんだ」と返す。
これはフィクションのセリフ以上に、哲学的な命題です。
我々が人間であるとは、「意志を持って真実を求める存在であること」に他ならないのです。

自由とは、選べることではなく「問い続けること」にこそ宿るのではないでしょうか。

「構造」を知らぬままでは“奴隷”に甘んじる

ブチャラティの「運命の奴隷」という言葉もまた、単なる比喩ではありません。
我々が構造――つまり、社会制度、資本の流れ、メディアの仕組み――を知らぬままに日々を過ごしている限り、私たちは「自由に見える奴隷」に過ぎない。
「死なないが、真実にも到達できない」――それはまさに、目の前にある“社会という迷宮”から出られないまま、終わりなき情報に消費される状態なのです。

まとめ

ゴールド・エクスペリエンス・レクイエムの能力は、私たちが現実で感じる“漠然とした不安”や“情報の迷子”の象徴です。
真実を知ろうとしない限り、私たちは社会構造というレクイエムのスタンド攻撃の中にいるとも言えるでしょう。
しかし、それでもなお「真実を求め続けること」、そして「問いを立て続けること」に、人間らしさと自由の光が宿る――。
そのことを、ジョジョ第5部は我々に伝えてくれているのではないでしょうか。

何を言っているかよくわからない????

という方は、是非、ジョジョの奇妙な冒険第5部を読んでみてください。控えめに言って、傑作です。

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