医師の働き方改革で、当直の扱いが変わった。
夜勤か、宿直か。
だが現場にいる側からすると、名前だけ変えて中身はほとんど変わっていない、むしろ都合よく言い換えられただけではないかと思うことがある。
宿直扱いになれば、前日から病院にいても翌日も平然と通常勤務。
その間、入院患者の対応をし、救急外来を回し、救急車の受け入れ要請にも応じる。
呼ばれれば動く。眠れても浅い。気は休まらない。
それでも「勤務ではない」と言わんばかりの整理をされる。
こんなもの、現場感覚で言えばただの言葉遊びだ。
負担の実態はそのままに、制度上の帳尻だけを合わせているようにしか見えない。
建前は立派だ。
医師の労働時間を管理し、健康を守り、過労死を防ぐ。
もちろん、それ自体は正しい。
だが、本当にやっていることは何なのか。
医師を守っているのではなく、医療体制を壊さずに回すために、無理を見えにくくしているだけではないのか。
現場の疲弊をなくすのではなく、“なかったことにしやすい形”へ整えているだけではないのか。
要するに、医師不足も、救急の逼迫も、地域医療の限界も根本的には解決できない。
だから制度だけ整えて、「改革しました」という顔をしている。
そう見えてしまう。
病院に寝泊まりさせる。
PHSを持たせる。
いつ呼ばれるかわからない状態に置く。
患者対応も救急対応もさせる。
それでいて宿直だから大丈夫、という。
それで納得しろという方が無理だ。
そして厄介なのは、こういう空気を一番よく見ているのが学生や若手医師だということだ。
理想を語る大人より、疲れ切っている現場の背中の方が、よほど雄弁だからだ。
「医師になりたい」
そう思って入ってきた人間が、現場を見て
「こうはなりたくない」
と思うようになる。
それでいて、医師が足りない、地域医療を守れ、人材を確保しろ、と言う。
都合が良すぎる。
だから人は、楽なところへ流れる。
条件のいいところへ流れる。
目先で稼げる分野へ流れる。
それはある意味、当然の帰結だ。
だが、そこで勘違いしてはいけない。
今、楽に稼げる場所が、10年後も価値を持っている保証はどこにもない。
医師免許を利用したビジネスがあるということも忘れてはならない
卒業後すぐに「楽で稼げる」界隈に流れることは
彼らに利用されているということを理解しなければならない
「タピオカ屋」のように、稼げうるうちに稼いで制度が変われば
彼らは去っていく。イナゴのように。
そして、市場価値のない無駄に年齢を重ねた医師だけが虚しく残る
その時にお金があっても
信用や実力や経験
そして自分の中に医師としての自覚や責任感などの
確固たる軸は残っているのだろうか?
今、自由に見える働き方が、将来の信用や実力につながるとも限らない。
規制はいつか入る。
ブームはいつか終わる。
開業も決して甘くない。
経験の浅いまま年数だけ重ねた医師が、あとから自分の空洞さに気づく時代は必ず来る。
これからの医学生に必要なのは、目先の条件に飛びつくことではない。
どこでなら本物の経験が積めるのか。
どこでなら逃げない実力が身につくのか。
どこでなら、医師としての信用を積み上げられるのか。
そこを見誤らないことだ。
とはいえ、そんな制度の中でも、淡々と自分の役割をこなす医師はいる。
僕は、そういう人を素直に尊敬する。
彼らに共通しているのは、やはり欲が少ないことだと思う。
もっと正確に言えば、目先の損得や見返りに、あまり心を支配されていない。
もちろん、別の見方もできる。
自分が搾取されている構造の中にいることを、気づいていないだけではないか。
そう思うこともある。
そして、それは一面では事実なのかもしれない。
医師は経済的なリテラシーが高い職種とは言い難い。
仕組みを知らず、制度に従い、知らないうちに時間も労力も削られていく。
そういうことは、確かにある。
それでもなお、彼らが折れない理由がある。
制度は彼らの時間を奪えても、やりがいまでは奪いきれていない。
そこが本質なのだと思う。
医師という職業全体で見れば、労力のわりに割に合わない場面も多い。
理不尽なこともある。
経済的合理性だけで見れば、もっと要領のいい生き方はいくらでもあるだろう。
それでも彼らにとっては、そんなことが人生の中心ではない。
目の前の患者に向き合うこと。
自分の役割を果たすこと。
必要とされる場所で、静かに責任を引き受けること。
そのこと自体に意味があるのだ。
だからこそ、制度の歪みはより罪深い。
善意に甘え、使命感に寄りかかり、誇りある人間ほど黙って耐えることを前提にしてしまうからだ。
本来守られるべきなのは、数字の辻褄ではない。
そういう医師たちの矜持であり、誠実さであり、働く意味そのもののはずだ。
やりがいに支えられている職業ほど、制度に食い潰されやすい。
医療がまだ崩れきっていないのは、仕組みが優れているからではない。黙って踏ん張っている人たちが、まだいるからだ。



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