※これはフィクション物語です。
エンタメとして読んでください。
信じるも信じないも、あなた次第。…とか言ってみたいだけです。

僕が株式投資を始めた理由は、シンプルにひとつ。
自由を得るため。

自由って、時間の自由。
場所の自由。
気分の自由。
そして何より、「選べる自由」。
で、ある日ふと思ったんです。
**労働による収入だけで生きている限り、自由は“借り物”なんじゃないか?**と。

働けるうちはいい。
でも、働けない日が来たら?
体調を崩したら?
環境が変わったら?
誰かを守らないといけなくなったら?
労働一本足打法って、地味に怖い。

だから僕は、不労所得に目を向けた。
「働かなくても入ってくるお金」が、自由の土台になると思ったから。
さて、ここから先は——
陰謀論ANDフィクションです。
世界を支配しているのは、金融資本勢力だ。
……と言いたいところだけど、もっと正確に言うなら、
“誰か”じゃない。
支配しているのは「マネー」そのものだ。

マネーは物質であり、抽象だ。
紙でもない。数字でもない。
その正体はたぶん、人間の限りない欲望の結晶だ。

欲望は止まらない。
増やしたい。守りたい。奪われたくない。勝ちたい。安心したい。
だからマネーは増殖し、集まり、権力と結びつく。

政治も結局、きれいごとだけでは動かない。
政治家は役者——
と言ったら言い過ぎかもしれないけど、少なくとも舞台の上に立つ人だ。

政策や税制を左右する力は、ひとつじゃない。
外国勢力、宗教勢力、経団連のような経済パワー、業界団体、世論、メディア、票、献金、スポンサー、既得権益……
本当にいろいろな力が、国を動かしている。

それはもう、魑魅魍魎。
互いの利益を貪り合う、巨大な潮流。
でも、ここが僕の中でいちばん大事なところで——
それは「人」じゃなくて、「欲望」なんだ。
だから誰かを名指しで責めても、どこかズレる。
だって自分にも欲がある。
僕だって、楽したいし、安心したいし、認められたい。
この大きな流れを全否定したところで、
現実世界では、むしろ息が苦しくなる。
じゃあどうするか。
僕はこう結論づけた。
「自分にも欲がある」と認めて、
仕組みを“利用する側”に回る方が戦略的だ。

世のため、人のため。
家族のため。
自分の納得のため。
そのために必要なお金を、
この仕組みの中から“取りに行く”。
清廉潔白な理想だけじゃ、現実は守れない。
割り切りもまた、優しさだと思う。
そして僕にとって、その具体的な手段のひとつが
株式投資だった。

なぜならこの世界では、投資家という立場が強いから。
政治家は市場を気にする。
政策が株価に影響することを、彼らは知っている。

企業は配当を増やし続ける。
株主の圧力がある。資本効率を求められる。
「株主にどう見られるか」が、企業の生存戦略になる。

庶民は、大企業には勝てない。
給料は上がりにくい。
利益が出ても、それが誰に回るかは決まっている。
会社の利益は、株主に還元されやすい。
この世は“持つ者”に有利な構造になっている。
悲しい。世知辛い。
でも、それが原理原則として何百年も回り続けている現実だ。
お金が生まれてから、ずっとそう。
だから僕は、株式投資を始めた。
「この仕組みは嫌いだ」と言いながら、
何も持たずに外側で嘆いているだけでは、たぶん何も変わらない。
国民の生活は見放されても、
資本家の利益は見放されにくい。
だったらせめて、
仕組みの恩恵を、ほんの少しでも受ける側に回る。
それが僕の選んだ、生き方だった。
※繰り返しますが、これはフィクションです。
でも、フィクションってだいたい、現実の味がちょっと混ざってるんですよね。


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