子育てにおける親の言葉の大切さ
今日は、このテーマに関して話したいと思います。
言葉使いで人生が変わる
言葉遣いは大事だと思う。
なぜなら、普段から自分が使う言葉が、考え方をつくり、人生の輪郭まで変えてしまうからだ。
言葉使いにおける小さな差を「大したことない」と軽視し続ける人は、気づけば“大したことない人生”の中に落ち着いてしまう。
逆に、一つ一つを丁寧に生きる人は、運にも人にも恵まれやすい。
僕はわりと本気でそう思っている。
本屋での出来事

郊外の大きな本屋でのこと。
公文の知育玩具コーナーに、ビー玉で遊ぶおもちゃが置いてあって、3歳の息子が夢中になっていた。
そこに2〜3歳くらいの子を連れた母娘が来て、子供が後ろからそのビー玉を取ろうとした。
息子は後ろから急に来たその手に驚いて「やめて」と言って制した。
まあ、よくある光景だ。
少し離れたところから見ていた妻が、教えてくれたのだが、その親が「おともだちが遊んでいるところに急に手を出すと、何されるかわからないから気をつけないといけないよ」と注意していたと。

妻は言った。
「おともだちが遊んでいるから、”貸して”とか声をかけようね、と注意した方が良いと思う」と。
僕も妻の意見に賛成で、人が遊んでいるものに参加したいなら、「貸して」って言う。
そういうコミュニケーションを教えるべきじゃないのかなと。
今回のケースに限って言えば、子供同士のコミュニケーションの場であり、「危険だから避けるべきこと」として覚えるのではなく、「関わり方を学ぶ機会」として扱う方が、子どもの世界は広がる。
こう言った日常の親の言葉の声かけの方向性ひとつでその子の未来は大きく変わるかもしれないと思った。
言葉選びにはその人の「態度」が出る
たった一言だけれど、言葉の選び方には、その人が見ている世界が出る。
「何されるかわからない」は、世界を“攻撃されるかもしれない場所”として定義する言葉だ。
一方で「貸してって言ってみようね」は、世界を“交渉できる場所”として定義する言葉になる。
そして僕は、こういう“世界の定義”って、大人になってもそのまま残る気がしている。
話はすごく飛躍するけれども
選挙が近いので制度の話を出すが、
税金や働き方のルールに対して、
「自分にとって都合が悪い」「損している」ばかりに目がいって、不平不満だけが増えていく人がいる。
構造を理解すること自体は大事で、むしろ必要な行動です。
でも、もっと大事なのはその先の「どう振る舞うか」だと思う。
学ぶのか。工夫するのか。行動するのか。
そこから先に行かない人の到達点には、どうしたって限界がある。
不平不満を言いつつも、明日も今日と変わらない日々を過ごす。
今日見た母娘と、この話は飛躍しすぎているかもしれない。
ただ、僕には同じ匂いがした。
世界を“怖い場所”として定義してしまう言葉。
自分の振る舞いを磨くより先に、先回りして避けてしまう姿勢。
僕は息子には、できるだけ別の言葉を渡したい。
「危ないからやめなさい」じゃなくて、「どうしたら一緒に遊べるかな」。
結果、おもちゃの取り合いになって喧嘩したっていいじゃないかと思う。
喧嘩の仕方を覚えることもとても大事なこと。
ある程度で止めてくれる大人がいるところであれば絶好の学びの機会だとさえ思う。
人生は、そういう小さな言葉の積み重ねで変わっていく気がするから。



コメント