赤裸々に語ります。僕がお金の勉強を始めたワケ

マインドフルネス

どうして僕が「お金」の勉強を始めたのか?についてお話しします。

僕は2025年時点で大学病院(私立)に勤務しています。大学病院の勤務医の給与は低いです。専攻医(医師5年目)の頃の給与は年収200万でした。そのころJ大学の無給医がニュースになっていたので、まだマシかと思っていたし、まだまだ勉強をしている身なので「もっと給与を出せ」という気にはなりませんでした。

実際に、この期間はとてもしんどかったけど(病院に6泊7日したり)、ここでの経験が今の自分の糧になっているのでなくてはならない期間であったと感謝しています。その期間をお金を稼ぐための選択をしなくて良かっとさえ思います。

流石に年収200万では生活できないので週に1回のアルバイトと、週末も当直などのアルバイトをしてそれなりの給与を得ることはできていました。

けれども、最近「病院の赤字問題」「診療報酬値上げ」がニュースになっているように、病院がこれ以上人件費を上げるというのは仕組み上無理なんだというのは重々承知しています。

独身の時はバイトで稼ぎまくるスタイルでもいいんです。毎週飲みにいきたい、ゴルフしたいとか、幸い?悲しくも?週末の時間は思う存分遊びたいという欲もなければ、時計が欲しい高級車が欲しいというような天井の無い欲望に駆り立てられることもありませんでしたので。そこまで苦痛もなく休日の時間を差し出して給与とトレードオフしていました。

結婚して子供が産まれて、世の中のお父さんがぶち当たる壁。その1「家族ができると時間の価値観変わる問題」が漏れることなく自分にも降りかかってくるわけです。そうなると、休日バイトに行きまくる生活を続けることで「家族との時間が奪われ、心苦しくなる」けれども、「働かなければ給与が減る」というジレンマに苛まれます。

そうなんです。時間を切り売りしてお金を稼ぐのは限界があったのです。死ぬときに後悔することは、「あの時、アルバイトをしなかったこと」ではなくて、「あの日の家族の笑顔を見れなかったこと」なんです。それでも、稼ぎのため、アルバイトは必要です。

家族ができたことで「個人としてどこまで早く、遠くまでいけるか」ではなくて、「死ぬ時に後悔のない道を歩んでこれたか」に価値判断基準を持つようになりました。そして、自分が苦痛を感じる時は何なのかを考えました。その多くを占めるのは「不自由を感じる時」でした。

不自由とは、「自由ではないということです」(あ、進⚪︎郎構文)。僕が感じる不自由は「時間」と「心」にまつわる鬱憤です。やりたくないことに時間を拘束される不自由、やりたいことや挑戦したいことができない不自由。こういった不自由は全て「お金のためにやりたくないことをやっている」から生じていると思います。さらに、大事なものを犠牲にしているという罪悪感がセットになってくることもあります。不自由のアンハッピーセットです。

ただのわがままかもしれませんが、「やりたいことをやって、それが人の役に立って報酬をもらえる」が最高だと思います。「やりたいこと」と「できること」も違います。「できることが人の役にたつ」のであればそれは、「自分に与えられた宿命」でもあるので、それは「やりたいことと完全一致しなくても」やり遂げた方が「死ぬ時に後悔のない道を歩めた」と実感できるかと思います。

仕事に関していえば、冥土の土産に持っていくならば「いくら稼いだのか」ではなくて「誰の役に立ったのか」が大事だと思います。結果、大金持ちならば最高ですよね。知らんけど。

自分の人生と「やるべきこと」と「それを邪魔するもの」

ならば、自分に与えられた役割と宿命は、「今、大学病院でやっていること」になるとすれば、それを気持ち良く続けるためには、家族との時間も確保するためには、どうしたら良いか?

それはお金の不安からある程度解放されることです。なぜならそれが自分にとって「不自由を感じる諸悪の根源だからです」。お金が悪なのではなく、お金への不安です。

そして不安にはどう対処するのが良いですか?不安を書き出して整理する。そして一つ一つの問題に対して知識をつけて自分なりの答えを出していくことだと思います。この作業を丁寧に続けることで、知識は増え、物事の点と点は線になり、漠然としていた不安をもっと俯瞰して見ることができるようになります。

お金の勉強をして、世の中の仕組みを調べ、問題を解決していく中ではっきりとわかったこと、確信したことがあります。それは、お金の不安を放っておくことが、一番良くないということです。

人は貧乏になるとアホになる

貧乏になると人はアホになると言われます。そんなことはなかろうと思っていましたが、今はこの言葉の意味が自分なりに理解できます。この言葉の真意はIQが下がるとか学習効率が下がるとか記憶力が落ちるとかではなくて、「判断基準」に「お金」が多分に影響することで「愚かな選択」を積み重ねていくことだと思います。

お金の不安を放置すると知らずのうちに搾取され、貧乏であると感じるようになります。そしてお金のために誤った選択をしてさらに貧乏になっていくというね。負のスパイラルの出来上がりです。

そう、インディアンの格言で「母が無知だと病気になり、父が無知だと貧乏になる」とあります。誰でも最初は無知ですし、無知を恥じる必要はありません。一度勉強したことでも何年か経つと知識も古くなります。世の中の状況が目まぐるしく変わるなか、知識において「現状維持は衰退」だと思います。

もっと厳しい言い方をします。学ばない人はどんどん貧しくなります。今の社会の仕組みを見ていると学ばない、挑戦しない、未来をよくしようと自分から動かない人はどんどん置き去りにされています。自己責任の考えや資本主義がより浸透していく仕組みのために、この色はますます濃くなっていくと思います。

なんだか一部の上級国民や資産家を除いて、庶民たちは社会主義国家の中に閉じ込められているような構造のように思えます。日本というのは官僚社会主義の国家と揶揄されていますけどね。その官僚ですら、もっと大きなチカラに支配されているのかもしれませんよ?そいうった社会の構造の本質を知っていると知らないとでは大きく変わります。

学び続ける姿勢が人生を豊かにし、人間としてより一層深みがあり人に頼られる存在になり、自らの生涯に意義を見出す事ができるようになると思います。自分の中にある軸や柱がより強固なものになるでしょう。

鋭い目で世の中を観察し学び、適切な距離を持って常に対策を練る姿勢。この姿勢を忘れてはいけません。不安をそのままに「何かを得ること」で感じていた「幸せのようなもの」は、不安を興奮で上塗りするようなものです。上塗りした興奮はいつしか冷め、また不安が顔を覗かせます。

不安を解消することは「すでにある幸せ」に気づかせてくれる大事なプロセスなんだと思います。楽観的に考えてればオッケーではなくて、勉強して適切に対策しようと言うことです。

具体的にどうしたの?勉強してどう変わったか?についてお話をします。

お金の不安をなくす方法として手っ取り早いのが「稼ぐ」あるいは「増やす」ことです。まずは誰でももっと稼ぐ方法はないのかと調べると思います。

転職、副業、不動産投資、株式投資、闇バイト。方法はたくさんあると思います。闇バイトも気になりましたが、ビビリということもあり信用が大事な仕事なので諦めました。幸い、承認欲求を満たすようなお金の使い方はしていなかったので、まあまあの資金が手元にあったので、「やらないよりは良いだろう」という思いで「株式投資」の勉強を始めました。

やはり、人生における重要なターニングポイント1は「株式投資の勉強」を始めたことです。

株式投資の勉強は、「株価の変動や未来を読む、ギャンブルにどう勝つのか?」と言う浅はかな勉強にはあらず。実際には、世の中を支配しているマネーの仕組みを知る入り口としてとても重要な役割を果たしてくれました。

そして、実際に副産物もありました。それは、投資の勉強を始めたおかげで、それ以前にぶつかっていた「世の中のお父さんがぶつかる壁 その2」である「保険問題」を見返すチャンスをもらったことです。

保険というこれもまた「不安」がテーマのお金の流れ

知識がなくて、不安ばかりを持っていると結局それは大企業のビジネスチャンスに繋がってしまうんです。人間の感情の揺さぶりというのは、お金になるんですね。

勉強不足の自分は、「将来のため」という保険販売員と母親の勧めもあり、「個人年金保険に加入した」のです。「銀行に預けていても増えない」「35年間積み立てると最終的には⚪︎⚪︎円増える」そんなよく聞く文言を当時は全く疑いもしなかったです。

投資の勉強をして、インデックス投資の素晴らしさに気づいた時点で個人年金保険の加入から5年経過、毎月5万円でトータル300万円払っておりました。気づいた当時に解約すると返戻金は270万円。「そっか、30万円も損するんだ」と思って躊躇していました。

返戻金がトントン(差額0円)になるまで契約を続けようか悩みましたが、そこに辿り着くまであと10年も「払い続けるお金」がもったいないと理解したので、30万円は勉強代だと思い解約しました。投資を始めない機会損失の方が不利益が大きいと考えたからです。資産運用するにおいて、貯蓄型保険は不要である。それに気づいたのが大体4年ほど前です。

その後は、インデックス投資から徐々に積立を始めました。コロナショック後の世界でしたので、基本的には右肩上がりです。地味ですが、少しずつ増えていく金額を見て将来への不安が少し和らぎました。保険による資金拘束、投資の機会損失の重大さを身をもって感じました。

もっと早く気づいていれば、という思いもありますが、せめてあのタイミングで気づいて本当に良かったです。

キャリアと年収の問題とその落とし所は?

ここで「世の中のお父さんがぶつかる壁 その3」にぶち当たります。それは、「収入アップのために職場を変える」かどうか問題です。ただし、大学病院が最低ランクの給与水準とはいえ、人生にはお金に変えられない仕事があります。仲間や同志もいます。一番の理由は、この器(人間の体)を預かった以上は、与えられた役割は成し遂げようと思ったからです。(ちょっとスピリチュアルでごめんなさい、でもそーゆーの大事だと思います。直感とか。)やはり、医業というのは一般職とは異なります。給与の高い方へ高い方へ行くことが必ずしも正義ではないと感じています。

それと時期を同じくして、子どもたちが小さいうちは家族との時間を大切にするという決意のもと、「これ以上はバイトは増やさない」とルールを自分の中で決めます。「もっともっと」という自分の気持ちを落ち着かせるために「高配当株投資」を始めました。

高配当株投資がインデックス投資と大きく異なる点は、「今、収入があること」です。簡単にいうと、インデックス投資は今年の生活を楽にしてはくれないのです。高配当株投資の配当金は、その年の収入を補ってくれるので今の生活が少し楽になります。

時間やお金の使い方はどう変わったのか?

正直、始めたタイミングが良かったこともあり(日経平均が2万円台でした)、本来「おじいちゃん企業」と呼ばれる高配当株企業も株価は成長しました。キャピタルもインカムもどちらも安定しており、「あの時、お金のことを勉強して投資を初めておいて良かった」と心の底から思えます。

年〇〇円の配当金は、アルバイト⚪︎回分に相当します。その分休日にお金のために働かなくてラッキーと思うようにしました。何よりも「働かなければお金は増やせないという切羽詰まった感情」の荷が降りたのを実感しました。

僕はプチ承認欲求を満たす程度の出費はしてはいますが、かなり倹約家だと思っています。ただし、健康に関わること、特に食事においてはケチらないようにしています。高い外食をしてInstagramにアップするとかではなくて、本質的に体によい食事・食材を選択するという意味です。

食事の目的は、人間の本来の免疫力や活力をサポートするものであるべきだと思います。

そして良い食事から得た活力はまた誰かのために、家族のために働く原動力となります。このように、良い循環を生み出していくこと(この場合は食事)にお金を使うことに価値を感じるようになりました。健康な自分を維持すること、これは浪費や贅沢ではなく、一種の自己投資だと思います。

「食事を薬のようにとれ、さもなければ薬を食事のように摂ることになる」(by スティーブ・ジョブズ)とあります。決してまずい食事を取れということではなく、今世界に溢れる添加物だらけの「工業食品」を摂るのではなく「人間本来の力を維持するための食事」を摂ることの重要性を説いていると思います。

ちなみに「食事を薬のようにとれ」は西洋医学の父と言われた古代ギリシャのヒポクラテスの言葉です。後半はジョブズがたしたんでしょうね。

お金の勉強をする、社会の仕組みを理解することは「人生を正しく見つめ直すこと」

世の中は残念ながら多くの物事がお金により動いています。僕もはじめ、人の心ですら、お金によって動かされています。お金の力で物事が動いたりします。でもそれは「陰謀論」と言って片付けられたりしますし、真偽のほどは僕にはわかりません。

人間の世界に最初にお金ができたときは「物々交換の約束チケット」の役割でした。それが今や、人が人の命を奪う動機にもなっています。それは強盗とかだけではなく、利権絡みの暗殺だったり、軍事産業と戦争だったり。ジョン・レノンは「世界は狂人によって支配されている」と言い残してこの世を去りました。何を感じ、何を見たのかはわかりませんが、「当たらずとも遠からず」という感覚で受け止めています。

グローバリズム、国連、EU、世界経済フォーラム、ウクライナ戦争、中東問題、移民問題、SNS規制、食品添加物、食料問題、種子法、感染症、各界の利権構造、これらに起因する社会の分断などなどなどなど。

ただしその世界に首を突っ込むのは危ないですし、過度な詮索は自分の人生をよくする行動ではないのであまりお勧めしません。その世界と戦うのであればイーロンマスクほどのお金が必要でしょう。実際に彼が戦っているように。僕ら庶民ができることは、できるだけ巻き込まれないように、そして関わらないように、その影響を受けることが最小限になるように距離を置く事が最も賢い選択であると思います。逃げではないですよ。クジラ同士の喧嘩をイワシには止められないです。

もちろん「正しい行いではない」と思うことに声を上げるのは大事なことですが、それは選挙であったり、消費行動という日々の選択で小さな意思表示をするしかありません。それでも世界は変わらないと思いますが、嘆く必要はないと思います。それを知って行動できているだけで他人よりはずっと自分の人生を歩んでいると思うからです。

まずは自分の人生を歩むことが最優先です。

「近寄らない方が良いもの」を身近な例で言うと

神様は「信じるものは救ってくれます」が、「信じやすい人は騙される」のが現実世界での掟です。SNSなんかを見ていてもそう思います。この世界はマーケティングに溢れています。スマホに表示される広告も過去の我々の行動からアルゴリズムで管理、表示されるようになっています。もちろん、良いものが広く、正しく世の中に受け入れるための良いマーケティングもあります。一方で、「ぼったくり商品」を売るために消費者心理を掴むことだけに秀でたマーケティングも存在します。

ぼったくり商品とは何か?と思うのですが、「その価格に見合った価値を提供しない」「最初からお金をとることを前提としている」商品だと思います。情報商材などは「成果が得られるかどうか」が人それぞれなので、結果が出なかったのが本人のせいなのか、商材のせいなのかはわかりにくい性質を持っています。「価値の評価」が消費者に判断しにくいためぼったくりが生まれやすい構造だと感じています。

何も成果の出ない情報商材を買ってしまった人、変なスクールに通っている人も多いのではないでしょうか?どうしてそんな決断をしてしまったのか?ひょっとしたら「すぐに稼げるようになる」とか「今なら、お安く提供します」とか、そんな言葉に魅せられたのかもしれません。その判断、貧乏でアホだった時にしていませんか?

他にも世の中には、「ぼったくり」や「割高商品」が多数存在しています。

貯蓄型生命保険、「ここだけ」の投資話、ワンルームマンション投資、ハウスメーカーで建てる家、ハウスメーカーでの点検補修、自宅に設置する太陽光発電、太陽光投資、、、数えればキリがありません。全てが悪いわけではないですが、営業と同じだけ、あるいはそれ以上の知識がなければ避けておいた方が無難でしょう。

政治経済の授業は退屈

政治経済は高校の選択科目にあります。人生で政治経済に触れるチャンスは一生でそこだけ、という人もいるかもしれません。思うんです。人生において、政治経済、それと歴史はとても大事でそこからの学びは数えきれないほどあります。生き方のヒントを与えてくれることもあると信じています。

それなのに、大学受験におけるマイナー科目であるため、多くの人がその大切さに気づかずにスルーします。「暗記教科」だと。でも、それは教える大人の責任でもあると思います。でも、僕が今面白い授業をすることができるか?と言われるとできません。なので当時の先生を責める気持ちは微塵もないです。でも本当は自分の生活と一番関係あるはずですよ。お昼ご飯のお弁当、お昼に行く学食には各家庭に「予算」があります。これだって、ミクロ経済ですよね。

あなたのお昼ご飯の予算はなんで友達よりも少ないのか?それは父ちゃんの稼ぎが少ないから?それとも父ちゃんが家庭にお金を渡さないから?母さんが食に関して無頓着だから?理由はさまざまであれど、やはり「政治経済」の問題はどこからしらに多大な影響を与えているのです。

政治経済や歴史がつまらないのは「背景」が語られていないから

学校の教科書は本当に正しいのか?教科書の内容を覚えることが大事な世界線ではこれを疑うことはほぼ不可能です。そうなると教科書は洗脳装置として大事な役割を果たします。

歴史はおきた事実とそれをどう意味づけるのか?がセットで語られる学問です。そこにどうしても意図による歪みが入りやすいと考えられます。国家や時代の都合、学会の潮流などあらゆる「意図」が絡み合っています。色々な解釈がありますが、それはそれでいいんじゃないかなと。

どこまで突き詰めても当時のことはわからないです。
つまり、本当のことなんて当時をいきた当事者にしかわからない
織田信長の性格だって、実際に一番近い人から見たら、とても繊細さんかもしれないし。

それくらいの距離感で「情報」と付き合うことをオススメします。

真実はいつもひとつ、でも、解釈はたくさん

でもそれが人生の奥深さ。

教科書、テレビ、新聞、広告、書籍、SNSと我々は常に誰かの解釈を通して世界を見て自分の行動を決めています。世界がネットワークで繋がった今、膨大な情報に溢れているので「人の目」を頼りに自分の意思決定をすることも増えています。

そんな仕組みだからこそ、誰を信じて生きるのか?で人生は大きく変わります。誰を信じ、何を信じ、どう行動するのか?

運任せで良い?感情に任せて良い?

日々の小さな「準び」「学び」「行動」が積み重なって、「運」は形成されると思うのです。そして本気でやれば運は必ずついてきます。良いもの、良い人に出会うには、自分の人生に本気であり続ける必要があると思います。

世界を、他人を、制度を、構造を端から全て疑うのではなく、人間の本質を見抜いた視点で。たとえ、それが弱肉強食であっても、悲観することなく、前向きに立ち振る舞う姿勢が、身近な人も幸せにできる力だとは思いませんか?

どうか、自分の人生は自分で。


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