国語が苦手だったからこそ書けたブログ

カテゴリーなし(ひとりごと)

― 読書嫌いの医師が、ことばと仲直りするまで

医師で、メディアに出ていたり、本を書いている人たちの話を聞くと、
「医学生時代は不真面目で授業なんて受けていなかった。けれども・・・」
「小さい頃から本が大好きで、暇さえあれば読書をしていた」
そんなエピソードがよく出てきます。

幼い頃から本に慣れ親しみ、自然とことばに触れてきた人たち。
大人になってからも、その延長線上で文章を書き、
自分の考えや世界観を滑らかに表現している姿を見ると、
正直なところ、羨ましさを感じます。

一方で、僕はというと――
子どもの頃は外でずっと遊び回っているタイプで、読書は大の苦手。
国語の成績も決して良くなく、高校生のときセンター試験の国語は偏差値50以下。
「文章を読む」「文章を書く」という行為に、ずっとコンプレックスを抱えて生きてきました。

それでも今、こうしてブログを書いています。
しかも、自分でも「お世辞にも上手とはいえないな」と思いながら、です。


読書家の医師たちへの、ちょっとしたコンプレックス

世の中には、「語彙が豊富」「比喩がうまい」「構成が美しい」
そんな文章を書ける医師や専門家の方々がたくさんいます。

  • 小さい頃から本が好き
  • 物語の世界で遊んできた
  • その延長で、ことばを使った自己表現が自然にできる

そんな人たちの文章を読むと、
「自分とは土台が違うなあ……」と感じることがよくあります。

僕は、小さい頃から本を読むよりも、外で走り回っている方が楽しかった。
読書が嫌いだった自分からすると、
読書好きとして育ってきた人たちの嗜好や習慣は、
今でもどこか眩しく見えます。


それでも僕は、ヘンテコな文章でも書き続けている

国語が苦手で、読書も得意ではなくて、
文章を書くのも上手とはいえない。

それでも僕がブログを書き続けているのは、
「国語が苦手な自分にしか書けない言葉もあるのではないか」
と、どこかで感じているからです。

国語が得意な人のように、
美しい文章や洗練された比喩は出てこないかもしれません。
引用も、そう多くは並べられません。

その代わりに、

  • 現場で感じたこと
  • 実際の失敗や迷い
  • 嫌だった記憶や、情けなさ

そういった“生の感情”は、そのままの言葉でしか書けません。

むしろ、うまく飾れないからこそ、
「本音」として届くこともあるのではないか。
そう思うからこそ、不完全で、まとまりのない文章でも、
思い切って世に出すようにしています。


「読めない・わからない側」の感覚を、忘れていない

国語が苦手だったことには、もうひとつの利点もあります。

それは、
**「わからない人の感覚を、忘れていないこと」**です。

  • どんなところで読み飛ばしたくなるか
  • どんな言い回しで頭がこんがらがるか
  • どこから先が急に難しく感じるか

こうしたポイントに、僕はすごく敏感です。
なぜなら、自分自身がずっと「わからない側」にいたから。

医師として患者さんに説明をするときも、
ブログで専門的な話題に触れるときも、
昔の自分のような「国語が苦手な人」を頭に浮かべながら言葉を選ぶようにしています。

読書家のように滑らかな文章は書けなくても、
「わからない側に寄り添って書く」ことなら、
国語が苦手だった自分だからこそ、できる部分があるのかもしれない――
そんなふうに思っています。


上手さよりも、「諦めないで書き続けること」

国語力は精神年齢だ、と言った先生がいました。
確かに、物事を多面的に捉えたり、他人の心情を想像したりする力は、
その人の“心の成熟度”と深く関わっているように感じます。

ただ、精神年齢が高いからといって、
達観して何もしなくなるのは、なんだかもったいない気もします。

  • 世の中を斜めから見て「どうせこんなもの」と諦めてしまう
  • 逆に、幼さのまま感情だけで動き、周囲を振り回してしまう

そんな極端なあり方ではなく、

うまくできなくても、とりあえずやってみる
下手なままでも、少しずつ続けてみる

そうやって、自分や世の中を諦めないでいられることも、
ひとつの精神的な成熟の形なのかな、と思うのです。

だから僕は、今もこうして、
ときどきヘンテコな文章をネットの海に流し続けています。


読書嫌いだった人へ

もし、これを読んでいるあなたが

  • 読書が苦手
  • 国語が得意ではない
  • 文章を書く自信がない

そんなタイプだとしたら、
もしかすると、僕と同じ側の人間かもしれません。

でも、それは「書いてはいけない理由」にはなりません。
むしろ、

  • 読めない人の気持ちがわかる
  • 難しい言葉に辟易してきた
  • 本音を飾れない

こうした感覚は、
これからの時代、かなり強い“武器”になる気がしています。

僕のブログは、国語が苦手だった僕が、
それでもことばと仲直りしようともがいている、ひとつの記録です。

上手い文章ではないかもしれない。
でも、「今の自分が、本気で考えていること」なら書ける。

これからもそんな気持ちで、
国語が苦手だった自分にしか書けないブログを、
静かに積み重ねていこうと思います。

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