ある日のこと、母親と電話でのやり取りで「コロナワクチン」とそれに関わる陰謀論に関して会話をしました。もしそうだとしたら?そんなことが許せるのか?と言ったところ、母は「仮にそうだとしてもそれも含めて神の所業かもしれない」と言いました。
確かに、現実世界に起きていること全てが「神の所業」と考えると疑いやそれによる憤りの感情も和らぎます。これは人類全体の所業であり、人類全員の責任なのです。
究極は、何が起きていようが、自分の使命を果たすだけ、自分のカルマを背負ってそれをなんとかする、それが今世の生業なのです。それでも、自分の使命を果たすために世界に何が起きていて、自分には何ができるのか?はしっかりと理解する必要があります。
1. 世界を覆う見えない支配構造
グローバリズムによる世界統一の流れは、もはや後戻りできない段階にあるように見えます。
国際機関、多国籍企業、そして一部の特権階級による「世界支配構造」は、表向きには国際協力や平和を掲げながら、裏では人々を管理し、恐怖によって操るシステムとして機能しているように感じます。
日本には、この強大な権力に対して表立って戦おうとする人はほとんどいません。
なぜなら、逆らえば命の危険すら伴うからです。
そのため、誰もが声を上げることを躊躇い、結果として世界はさらに統制されていく──そんな現実があります。
2. 権力構造の中で私たちができること
私自身には、この巨大な構造と真正面から戦う術はありません。せいぜい、選挙で投票することくらいです。
しかし、日本の低い投票率を見ると、選挙だけで世の中を変えることは難しいと感じます。それでも、頑張っている人々の努力を無駄にしないため、微力ながら投票には行き続けたいと思います。
グローバリズムの支配構造はすでに生活のあらゆる領域に浸透しています。
移民政策もその一つでしょうし、パンデミックも恐怖を利用した民衆統制の道具にされる可能性があります。恐怖は人々の行動を単純化させ、管理を容易にします。
実際、ウクライナでは戦争を理由に選挙が行われないという事態が起きました。
日本でも将来、同様のことが起きないとは言い切れません。
3. 幸せは身近な場所にある
世界が操られていると感じながらも、私の幸せはとても身近なところにあります。
家族と一緒に食事をし、善行を行う同僚たちと共に仕事をする──その時間に深い幸福を感じます。
私は高級な嗜好品や贅沢を求めません。
- 車は日本車で十分
- 時計も1本20万円以下
- ゴルフや飲み歩きはしない
- 高級ワインやお酒は興味はあれど、自分で買うほどではない
これは我慢しているわけではなく、経験を重ねた結果、欲望には天井がないことを理解し、自然と手放すことができたからだと思います。
4. 世界を「エンターテイメント」として捉える
グローバリストたちが作り上げる世界は、私にとってもはや一種のエンターテイメントのように映ります。
「事実は小説より奇なり」という言葉がまさに当てはまります。
高い税金も、理不尽な制度も、ルールとして存在する以上は逆らわない方が得策です。
罰則がある以上、現実的にはその枠組みの中で生きていくしかありません。
ただし、命を奪う戦争や薬害だけは決して許されないと強く感じています。
それを利用して莫大な利益を得る者がいるとすれば、断じて容認できません。
ただ、それすらもどうにもできない世界がすぐそこにきています。
人類全体の責任として、神の仕業として、受容するべきなのかもしれません。
5. 命を守るために必要な情報リテラシー
将来、命に関わるような大きな計画──例えばパンデミックや戦争──が仕組まれている可能性はゼロではありません。
だからこそ、オールドメディア(テレビ・新聞)だけに頼らず、多様な情報源からニュースを集める必要があります。
- SNSや海外メディアを活用する
- 発信者の立場や利害を冷静に分析する
- 恐怖を煽る情報は一歩引いて検討する
こうした習慣と情報リテラシーを養うことが、自己防衛につながります。
まとめ:世界がどうであれ、自分の人生を生きる
世界がすでに操られていることは事実かもしれません。
しかし、だからといって私たちが絶望する必要はありません。
整備されたインフラや社会構造は、皮肉にもその支配構造によって成り立っています。
その恩恵を最大限享受しながら、
- 自分の大切な人を守る
- 小さな幸せを見つける
- 命に関わる危険だけは見抜き、避ける
こうして自分の人生を強く生き抜くことが、私たちにできる最も現実的で賢明な選択なのです。
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