はじめに:気づいたのは、30代半ばを過ぎてから

気づけば、30代の半ばを過ぎていました。
それまで私は、テレビや新聞、ニュースサイト、論文、そして“肩書きのある人”の発言を、無条件に「正しいもの」として受け取っていました。
「偉い人が言うことに間違いはない」
「論文に書いてあるんだから、そうなんだろう」
そんなふうに、無意識のうちに「信じ込むこと」が当たり前になっていたのです。
でも、ふとした出来事がきっかけで、こう思ったのです。
その“常識”、本当に正しいのか?
権威に従うのが「普通」とされる社会

私たちは、幼い頃から“正解を探す”教育を受けてきました。
学校では模範解答があり、先生や大人の言うことに従うのが良しとされる。
空気を読み、和を乱さず、反論しないことが「賢い生き方」だとも。
でも、その「従順さ」は、思考を止める習慣につながっていたのかもしれません。
権威のある人、難しい言葉を使う人、学術的な表現、
そういったものに対して、「きっと自分より正しいのだ」と思い込む癖がついていたのです。
「正しさ」は変わる。だからこそ、自分で考える必要がある

一見、“絶対”に見える情報も、時代や文脈が変われば、まったく違う見え方をすることがあります。
たとえば、かつては喫煙が健康的とさえ言われていた時代がありました。
医療の世界でも、数年前まで推奨されていた治療法が今では否定されている、ということも少なくありません。
つまり「論文に書いてあるから正しい」「専門家が言っているから正しい」と鵜呑みにするのは、とても危ういことなのです。
批判的思考とは、「否定」ではなく「問い直し」

ここで言う“批判的思考”とは、何でも否定する姿勢ではありません。
むしろその逆で、「いったん立ち止まって、自分の頭で考える」という、とても前向きな態度です。
- 本当にそうなのか?
- それは誰の視点で語られたものか?
- 自分にとっても“真”と呼べるものなのか?
そういった問いを持つことで、情報に振り回されず、自分の軸を持って生きられるようになるのです。
情報過多の時代だからこそ、「考える力」が必要

現代は、スマホひとつで世界中の情報が手に入る時代です。
でもその分、間違った情報も偏った視点も、いくらでも目に入ってきます。
だからこそ、「何を信じるか」を他人任せにせず、自分の視点で見極める力が求められています。
それは、子どもたちにこそ身につけてほしい力であり、大人になってからでも育てていける力です。
おわりに:思考を取り戻すことで、人生のハンドルを握る

今思えば、私はずっと“誰かの正しさ”に乗っかって生きていました。
でも、それが必ずしも「自分にとっての幸せ」とは限りません。
自分で考えること。
問い直すこと。
時に、「常識」や「正しさ」を疑う勇気を持つこと。
それが、ようやく私が30代半ばで手に入れた“人生のハンドル”でした。
これからは、自分の目で見て、自分の言葉で語り、自分の道を歩いていきたいと思います。
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