本質を考える医師です
田舎の神童だった僕が気づいたこと
自分は「田舎の神童」と呼ばれるような立場にいました。
学校の成績は良く、模試でも上位に名前が載ることがあり、周囲から「すごいね」と言われることも多かったです。
でも、当時の自分はその“すごさ”をあまり実感していませんでした。
模試で全国順位が数千番だとしても、裏を返せば自分よりも勉強ができる人が全国に数千人いるということ。
上下10学年分を含めれば、優秀な人材はざっと10万人規模になるでしょう。それが世界規模だとしたら??
そう考えると、「田舎の神童」という言葉がいかに狭い世界の中での評価かが見えてきます。ただ自分と同じような学力で、切磋琢磨しあっていた友人もそうでしたが、全体を俯瞰すると本当に「大したことはない」のです。
社会に出て思うこと
社会に出て思うのは、「その後、どう生きるか」が圧倒的に重要だということ。
高校生までの勉強は、人生の序章にすぎません。
学歴や偏差値がモノを言う場面もありますが、それは限られた範囲の話。
社会の広さと複雑さに触れる中で、学力だけでは測れない「生きる力」がいかに重要かを痛感しています。
それでも勉強は無駄ではない
だからといって、勉強を軽視していいとも思いません。
努力する力、知識を積み上げる姿勢、自分を律する習慣。
それらはすべて、社会に出たあとにも通用する大切な土台です。
ただ、それがすべてだと信じ込みすぎるのは危険です。
テストの点数や大学名に執着することで、かえって自分の本質を見失うこともあるからです。
早く気づけるかどうかが分かれ道
「学力=人生の価値」ではないと早い段階で気づけた人は、
その後の人生でも“肩書き”に振り回されず、柔軟に、誠実に、自分の道を歩んでいけるように思います。
逆にその幻想を引きずったままだと、社会に出たときに大きなギャップに苦しむことになるかもしれません。
終わりに
「田舎の神童」は、ある意味では幸運なスタート地点です。
でも、それはただのスタートにすぎません。
自分がどう生きたいか、どう行動したいか。
その問いと向き合うことこそが、真の「賢さ」なのだと、今では思っています。
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