本質を考える医師です

公共事業といえば、電気・ガス・水道といったインフラ整備や、オリンピックや万博といった一大イベントを思い浮かべる方が多いでしょう。これらはいずれも、国民の税金を主な財源として政府が推進するプロジェクトです。
しかし、私が最も「お金が動く公共事業」だと感じるのは、戦争です。
戦争は「国家規模のビジネス」か?
戦争には莫大な予算が投じられます。軍隊の維持、兵器の開発と調達、燃料、輸送、補給、情報戦、サイバー戦…。あらゆる産業と結びつき、動くお金のスケールはインフラ整備や五輪の比ではありません。
しかしその利益は、誰が得ているのでしょうか?
それは、戦争に関わる軍需産業や、政府と癒着した一部の企業たちです。
一方で、犠牲になるのは一般国民。戦地で命を落とす人もいれば、戦争によって生活を失い、将来を奪われる人もいます。
「国益の衝突」という名のプロパガンダ
戦争が始まると、政府やメディアは「国益のため」「自衛のため」といった大義名分を掲げます。確かに国家間の利害対立があることは否定しませんが、それが戦争という手段を正当化するための口実になってはいないでしょうか?
冷静に考えれば、武力によってしか解決できない争いは本当に少数です。
しかし一度「敵」というラベルが貼られると、国民は一致団結を求められ、疑問を口にすることさえ許されなくなります。
「戦争→復興→興行」の経済サイクル
戦争の裏には、もうひとつのビジネスモデルが隠れています。
それが、**戦争のあとにセットで訪れる「復興」と「興行」**です。
戦争によって破壊された街やインフラは、やがて復興事業として再建されます。莫大な建設需要が生まれ、それが経済を回します。さらに、平和を祈念する名目でオリンピックや万博などの国際イベントが行われ、大規模な投資が促されます。
これらもまた、特定の企業にとっては「美味しいビジネス」なのです。
実際に日本も、戦後の復興過程でこのモデルを経験しました。
- 朝鮮戦争による「特需」
- 高度経済成長期のインフラ整備
- 1964年の東京オリンピック
これらは一見「平和の象徴」のようでありながら、戦争→復興→興行という経済循環の一部だったとも言えるでしょう。
最後に:私たちは何を問うべきか
この構造を前にして、私たち国民は何を考え、どう行動すべきでしょうか。
戦争が「公共事業」として仕組まれたものだとするならば、それは最も残酷なかたちで私たちの命と未来を搾取する仕組みです。そして、復興やイベントという“ポジティブな装い”でその痛みをごまかしながら、再び同じ構造が繰り返されていく。
私たちは、そのカラクリに気づく必要があります。
疑うべきは「敵国」ではなく、自国の中で利益を得ている構造かもしれません。
公共事業とは本来、国民の生活をよりよくするためのものです。戦争がそれを偽装しているとしたら、それはもう公共の利益ではなく、一部の私利私欲に過ぎないのではないでしょうか。
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