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ひとりごと リベラルアーツとは何か

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ひとりごと

 本質を考える医師です

 リベラルアーツ、と言う単語を最近よく聞く方も多いと思います

 そっち🦁、の話しではなくて純粋にこの言葉に関しての「ひとりごと」です

 歴史家など専門家の方からすると、何もわかっていない戯言のように聞こえるかもしれませんが、ふと思っただけなのでご容赦ください

 ちなみに私は応援会員です

リベラルアーツと言う言葉

 リベラルアーツという言葉には、「自由」という意味が含まれています。直訳すれば「自由になるための学問」あるいは「自由に関する学問」と言えるのかもしれなません。

 もともとは古代ギリシャやローマにおいて、自由人──つまり奴隷ではない市民が身につけるべき教養として位置づけられていました。文法・修辞・論理といった三学に加え、算術・幾何・天文学・音楽の四科からなるこの学問は、人間が自らの思考を深め、より自由に生きるための土台だったのです。

ギリシャ神話

 ギリシャ神話に目を向けると、そこには人間らしさを賛美するかのような物語があふれています。神々でさえ欲望や嫉妬に振り回され、時には失敗すらも犯しています。その姿はどこか人間的で、輝かしく、本質的な何かを追い求めるような力強さを感じさせます。

 欲望があっても、それで失敗しても、力強く生きることを肯定するような印象があります。

キリスト教

 一方で、後に登場するキリスト教は、それとは対照的に「耐えること」や「自己犠牲」を美徳とし、どこか陰のイメージを感じてしまいます。もちろんすべてがそうではないにしても、宗教が時に人々を支配するためのプロパガンダとして利用されてきた歴史を踏まえると、為政者にとって都合の良い思想が含まれていたことは否めないのではないかと感じてしまいます。

 もちろん宗教自体を否定したり、信仰を貶しているわけではありません。ただし、人々の信仰心を利用して悪いことを考える人間がいると言うことが事実だと思います。

自分は無宗教だけど・・・

 私は無宗教ですが、日本古来の神道にはどこか自然と腑に落ちる感覚を覚えます。

 神道には、あらゆるものに神が宿るという思想があり、すべてのものに感謝し、畏怖の念を抱いて生きることの大切さを教えてくれています。そこには「自分だけが救われればいい」という考えはなく、自己犠牲を望んだりもしていません。むしろ、この世界を「魂の学びの場」と捉え、それぞれが何かしらの役割を担って存在しているという感覚が根底にあるのではないかと感じています。

自由とは何か?

 そう考えれば、「ガマンすることが大事」とか、「誰かのために自分が犠牲になる」といった発想ではなく、「自分にはこの世でこういう役割が与えられているだけなんだ」と、現状を俯瞰して受け入れるという姿勢も生まれてくると思います。

 それは、どこかリベラルアーツの目指す「自由」とも通じているのではないかと思います。自分の置かれた状況を深く理解し、他者や世界との関係性の中で自由を見出していく。そうした在り方こそが、現代を生きる私たちにとって本質的な「自由」なのかもしれないと思った次第です。

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