本質を考える人です。
自分は年に1回ほど、神様から言葉をいただきます。
正確には、神様からの言葉を感じることのできる方とお話しする機会があります。
このようなものを馬鹿にする人も信じる人もいると思います。
どちらの態度でも構わないと思っていて
何を信じて生きるかは人それぞれだと思っています。
ただ自分はその方を非常に頼りにしております
もちろん信者ではなく、しっかりと言われたことに対して自分の意見を持つようにしています
今年の話は
その方との話は割と唐突な話題で始まることが多いです。
それが準備されたものなのか、その時に舞い降りてきているのかはわかりませんが。
今年は昭和と令和の人間をテーマにした話から始まりました。
昭和は平成の中期ぐらいまで
その方曰く、平成の人間というは存在していなく、平成の真ん中で割って、昭和の人間と令和の人間がいるそうです。
自分もアラフォーになるので昭和の人間になります。
昭和の人間は組織の中での自己を意識して生きています。組織の中で、いかに働き、貢献していくか、悪く言えば社畜、よく言えば・・・?そして社会に出て20年近く経ち、上司もいれば部下もいる、家族もいる。それなりの仕事を与えられてはいるものの、自分というものを少し見失うこともある、非常に悩み大き世代でもある。今のアラフォー世代の昭和の人間は病んでいる人が多いとのことです。
一方で、令和の人間は、組織にはとらわれず個人で生きている人が多い、経歴とかどこに所属しているというこだわりをあまり持っておらず自由な生き方を優先しているようです。
まあ言われてみると確かにそうだなと思います。どうでしょうか、昭和の人間の方が役回りとしては損をするような印象があります。組織のためという自己犠牲の精神は多いでしょう、確かに病んでしまうのも理解できます。
令和の医師も増えてきた
自分を含めた医師界隈でも令和の人間が増えてきたなと思います。
医局に属すことなく自由に働く人や、ある程度の技術や能力を身につければもう医局の御役御免と言わんばかりに退局する人が以前に比較して多いような印象があります。
診療科選びに関しても、患者さんや病院に縛られることを好まず、診療時間外は医師業務から解放されたいと思い、そのような機会ができるだけ少ない診療科を選択する医師も増えています。
過剰な時間外労働を防ぐために「医師の働き方改革」が導入され、1年が経とうとしています。もともと医師数の少ない診療科はさらに人手が回らなくなり、働いていないことにしたり、診療体制の縮小や診療制限をしたりして対策をしています。これは本質的には逆効果ではないでしょうか?
また、診療科の偏在を是正するために専門医機構が特定の診療科へ人数を制限したりなどしていますが、それが余計に美容外科への入局者を増やしているとも言われています。
医師を取り巻く環境も時代と共に変化しており、上記のように縛られる事を嫌う令和の医師が増えている印象です。色々な手を打てども改善しないどころか、状況がむしろ悪化しているのは価値観の変化の方が社会態勢に与える影響が大きいのでしょうし、医師のような頭のいい連中は常に決まりの抜け道を見つけていきます。
直美とか再生医療とか
自分が研修医の時などは、研修医を修了してすぐに美容外科に就職するようなことを選択する医師は非常に稀ではありました。研修医後すぐに美容外科に進む人のことを直美(ちょくび)というようで、この単語はInstagramやthreadsなどのSNS界隈では市民権を得た言葉となっているようです。
保険医が病院にこき使われる奴隷だとしたら、美容に関わる医師は資本主義やお金にこき使われる奴隷だと思います。一般的には同じ年齢、世代での医師で比較すれば保険医<美容外科医というお給料です。お金の出どころが予算の決まった社会保険料か、患者の支払うお金か、でこんなにも収入が違うのかと驚きます。
人々が美容にこれだけお金を注ぎ込むのは、単なる資本主義だからでは説明できなくて、美というのは人間の欲求のひとつですがモチベーションとしてとても大きなものなんだなと実感します。
再生医療に関しては、少しだけその界隈に関わったことがあります。印象としては良く効く治療だと思います。ただし良いものではありますが、かなり高額な治療費が必要であり、現実は超富裕層相手の商売となっています。医療というものは昔、将軍や皇帝などの貴族や皇族のためにあったものという事を考えれば当然なのかもしれません。
直美に関しては、その診療の性質から患者さんを責任持って最後まで診るということは少ないですから医師として一番大事な時期に本当の意味での人間を学ぶ経験が不足します。よって、医師としての責任感が育ちません。仕事に対する責任感を持たずに生きるというのは別になんともないことかもしれませんが、自分としてはそこに人間としての深みや人生の重みがあって素敵だと思えるのですが、そういう考えが昭和なのかもしれません。他人からどう思われるかはあまり気にしない方が幸せなのかなとも思いますが、それって人としてどうなの?と思います。
昭和の人間のままでいいけども
まとまりない話を徒然なるままに書いてしまいましたが、結局、自分はどこまで行っても昭和の人間であり続けるとは思います。
けれども、時代は風の時代、そして巳年になりました。これまで組織を大事にしてきた昭和の人間も過去や役割に囚われずに自分のために自由に生きることを選択しても怒られることはないでしょう。
昭和の人間のメンタリティは忘れないまま、少し自由な方向へ舵を切ってもいいかなと思えた今日この頃でした。
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