人生において、私たちはさまざまな出費と向き合って生きています。
食費、洋服代、保険料、車の維持費、教育費、趣味、税金、通信費、そして住宅。
この中で最も高額な支出は何かと問われたとき、多くの人が「住宅」と答えるのではないでしょうか。
人生で一度あるかないかの大きな買い物。そこにどれだけのお金と時間と労力をかけるのかは、まさにその人の「人生観」を表す選択だと思います。
お金は“価値”に対して払うもの

日々の生活費を見直すと、どこを節約するかは人それぞれです。
- 食費を切り詰める
- 洋服はファストファッション
- 車はレンタルやカーシェア
- 保険は最低限に
- 通信費は格安SIM
- 住居は郊外で安く購入、あるいは賃貸で低コストに
そうやって調整しながら生活している人も多いでしょう。
しかし、節約やコスト削減が当たり前のように語られる一方で、「安ければ良い」という価値観が社会に染みついてしまっている気がします。
日本は長らくデフレ社会が続き、“安いことが正義”のような空気があります。
テレビでは「激安!大特価!」がもてはやされ、消費者の価値観もそれに染まっているように見える。
しかし「安かろう悪かろう」という言葉があるように、本来は“価格”と“価値”は区別して考えるべきです。
高すぎる手数料や、見えない中間コストに目を向ける

一方で、価値があるように見えて、実は中間業者の手数料で高騰しているサービスも少なくありません。
新規参入が難しい業界、既得権益が絡んでいる事業、あるいは見えない手数料が重なったもの。
自分が払っているコストが本質的な価値に見合っているのか――この視点は常に持っていたいところです。
もちろん、趣味や娯楽など「自己満足」を目的とした消費においては、金額以上に“心が満たされるかどうか”が大切。
価格以上の価値を感じるのであれば、それは「正しい消費」だと思います。
持ち家か、賃貸か。建売か、注文住宅か。

「家を持つかどうか」という選択も、こうした価値判断の延長にあります。
- 家族構成
- 収入や資産背景
- 転勤の可能性
- ライフステージの見通し
これらを踏まえて「賃貸か持ち家か」「建売か注文住宅か」「ハウスメーカーか工務店か」などの選択をしていくことになります。
私はこの判断をするにあたり、「金額」ではなく「価値」に目を向けました。
住宅というのは、間違いなく人生で一番高い買い物のひとつ。
だからこそ、“住めればいい”ではなく、“心地よく、愛着をもって暮らせるか”を大事にしたかった。
それが、私が注文住宅を選んだ理由です。
職人の技術に価値を見出す

注文住宅は、確かに割高です。
工務店や設計士と何度も打ち合わせを重ね、細部までこだわる分、コストもかかります。
でも、だからこそ「一生懸命やってくれる職人さんたちにきちんとお金を払いたい」という気持ちがありました。
これは、突き詰めれば“自己満足”かもしれません。
でも、自分で調べて、自分で納得して決断したのなら、それで十分。
決めるのは“自分の価値観”で

誰かの真似ではなく、誰かの評価を基準にするのでもなく。
大切なのは、自分の中に確固たる価値判断の軸を持つこと。
普段から「これは本当に必要か?」「これは価格に見合っているか?」と問い続けることで、価値を見抜く力が養われます。
その力は、自分を騙そうとする人を寄せ付けず、信頼できる選択へと導いてくれます。
まとめ:家を建てるという選択もまた「人生の表現」

注文住宅を建てることは、ただの買い物ではなく、私にとって「人生の表現の一部」でした。
そこに込めた価値観や想いは、他人には理解されなくてもかまわない。
選んだ道に責任を持つこと。
誰かのせいにせず、自分の意志で決めること。
それが、どんな選択であっても後悔しない生き方につながるのだと思います。
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