本質を考える医師です。
子供は勝手に育つので「子育て」ではなくて「子育ち」という言葉がこの概念を正確に表しているように思います。
次男の声が大きすぎて困っているのですが
それだけ魂のエネルギーも強いのだろうとプラスに考えています。
ただ、実際は困ることも多くて・・・
スーパーでの出来事

そんな時に、ひとりのマダムが「泣いているんだから抱っこしてあげなさい」と言ってきました。自分は思わずカッとなって、「それで泣き止むなら最初からそうしています。」と答えました。
そうなんですよね、大人気なくイラつきましたが、どうしようもない時はどうしようもないんです。こんなちっちゃい子に周りの空気を読む力なんてないんですから、大人が耐えて、寛容になるしかないんです。妻はこの頃、この次男の泣きっぷりに心折れていました。母親には理屈ではなく子供の鳴き声は辛いようです。だから自分がいるときは妻やこの子たちを守ため自分が批判の矛先になろうと思いますし、何か言われても決して自分の考えは変えません。
大きな声を出してそれが「周りに迷惑をかける」から静かにさせろ、泣きやまらせろ、という人もいます。気になるのも理解できますが、小さな子はそんなもんという大前提が理解できていないのか?と思います。自分が小さいときは一切泣かずに誰にも迷惑かけなかったのか?お互い様だろと思います。
誰かに迷惑をかけたり、誰かのお世話になるというのは誰しもが経験することで、それで助かったり救われたことに感謝の気持ちがあるならばそんな気持ちは湧かないのではないかと思います。悲しいかな、不寛容な気持ちは感謝が足りないと思います。
もちろん小学生くらいの子供がうるさいのとは訳が違います。言葉が通じるのであれば、それはTPOを考えた態度を取るように注意するべきだと思います。
「子持ち様」
「子持ち様」という言葉をニュースで見たことがあります。
これは子育てをしている家庭やその親を揶揄し批判的な意味合いで使われる言葉です。ちょっと前にSoup Stock Tokyoが離乳食の無料提供を開始した際に、「子持ち様」が話題になったのを覚えています。子持ち様を優遇するような店にはもう行かないなど、そのサービスに対する批判的な意見が話題になりました。その根底にあるものは以下のような考えが原因だと思います。
子育てをしている人が周囲に迷惑をかけても良いと考えているという批判
特別扱いを求めているという非難
子供がいることを理由に、周囲への配慮に欠ける行動をとる人々への皮肉
自分は、これまで子供がいる時もいない時もこのようなことは意識したことはありませんでした。この話題を聞いて思ったのはなんて器の小さな人なんだろうかと思いました。器も小さければ想像力もない。多くの母親は我々の想像を超える覚悟で子育てをしています。
一人の人間を育てるのはそれくらい大変なことだと思います。Soup Stockが離乳食を提供しただけでもう行かないとか、そんなことで自分の選択肢を減らさなくても良いだろうに、しょぼいなと思います。人生不幸せなことばかり見つけて生きているんだろうなと思います。
考え方のひとつで気の持ちようなんていくらでも変えられるのに勿体無いです。
泣きやまない次男は
結局、買い物を終えた妻と長男が戻ってきても泣きやまなかった次男は、その後どうにか隅の方に連行できました。なだめていると先ほどのマダムが「まだ泣きやまないの、大変ね」と再び声をかけてきました。
まだいんかい、と思いましたが、どうやら別に悪い人でもなく、ただただ心配してくれただけの人でした。少し強く言い返してしまった自分の行動を反省しました。
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